第二十四話(20)

 

それから。
僕たちは母親である秋穂の説得に追われることになった。一花が戦争に向かうことにまとまったから解決……なんてするはずもないし、そもそも普通に考えて娘が戦争に行くと聞いて黙っていられるはずもない。
それに、突然のことだ。最初はまるで絵空事のように捉えられていたが、それもストライガーが話し始めたことでようやく事の重大さに気づいてくれたらしい。
だが、それでも、彼女は一花の母親だ。
「……あなた、これをいつから知っていたの? どうやら、少なくとも今の時点では前から知っていたように思えるけれど」
「……、」
僕は、直ぐにその答えを出すことが出来なかった。
それは彼女に黙っていたから?
それは彼女に嘘をついていたから?
そのどちらもが正しく、どちらもが間違っていた。
「まあ、いいわ。仕方ないことよね」
これから長い話し合いが続くかと覚悟していたが、あっさり秋穂は引き下がった。
「え……え?」
「なに? どうかしたの?」
「いや……、もうちょっと何かあるのか、と思っていたから。こうあっさり引かれるとは思わなかっただけだ」
「そりゃ私だって心配していないわけじゃないし、出来れば戦争なんて末恐ろしいものには参加してほしくないよ。だって、もしかしたら五体満足で帰ってこられないかもしれないんだよ?」
その通りだ。
現に僕が知っている限り、戦争に出向いて五体満足で帰ってこれた人間は少ないと言われている。なぜなら、誰もが『国のため』に戦うからだ、と。たとえ自らの身を擲ってでも、戦争に勝たねばならない。そんな強い思いが働いていたからだと言われている。
「……でもね、正直そんなことも言ってられないんだろうな、って思ったんだよ。今は平和だけど、いつその平和が崩れるか分からない。そのとき、私は家族を安心できるのかな? って、そんなことを常々考えていたの。それは、あなたにも、誰にも伝えていない私だけの秘密。けれど、今ここで打ち明けるべきだと思った。だから私は今言った」
「……知らなかった。君がそんな思いを抱いていたなんて」
彼女はいつも明るく振舞っていた。
だから悩みなんて無いんだろう。そんなことを、彼女の気持ちを知りもせずに思っていた。
「いいのよ、別に。こう言うとさらに捻くれちゃうかもしれないけれど……。隠したくて隠していたわけでもないのよ。気が付けば、隠していた……とでも言えばいいのかな。ただあなたが悪いわけじゃない。悪いのは、私もそう」
秋穂はそう言って笑うけれど、それでも僕は秋穂に申し訳ないという思いだけが満ち満ちていた。
何が仕方なくて、何が駄目なのか。もはやその答えを簡単に導けることなんてできやしないのかもしれないけれど。
「……そろそろ、まとめてはくれないか。はっきり言わせてもらって、時間が無いんだ」
ストライガー、空気を読むということを知らないのか。今はどう考えてもそういう口出しはしちゃ不味いところだっただろう。
「空気を読むとか読まないとか、はっきり言って関係無いのよ。とにかく今は、人間の共通の敵……オリジナルフォーズをなんとかしなければならない。それくらい気付いているはずでしょう……?」
分かっている。分かっているさ。
でもスタンスとか雰囲気とか、色々な要素があるじゃないか。それについては、出来る限り崩してほしくないものだけれどね。こういうのは或いは『当たり前』とでも言うのかな。
「そうよ、あなた。これ以上話をごちゃ混ぜにしてもいけない。きっと、ストライガーさんはそう言っている」
秋穂もそんなことを言い出した。
さっきまで真っ向勝負と言わんばかりに、ストライガーと対抗していたのは誰のことだったかな。
なんて、そんなことを言ってしまうときっとさらに話が絡まってしまうことだろう。とどのつまり、話をこれ以上かき乱さないためにも僕はその言いたいことを心の内に潜めておくしかない――ってことになる。
「……分かった。とにかく向かおう。準備は出来ているか、一花?」
「うん。お父さん」
一花は僕の言葉を聞いて、はっきりと頷いた。
ほんとうによく出来た娘だと思う。父親として誇りに思うと同時に、ここまで育てた本来の『風間修一』は人格者だったのだと悟ることができる。
「さあ、向かいましょうか。戦場へ」
そして、僕たちはストライガーの言葉に従う形で、戦場となる場所へと向かうのだった。

◇◇◇

「どうやら、ジャパニアの蛮族は準備を進めているようですな」
月夜に照らされたとある一室。フェリックスがオール・アイに語りかけていた。
オール・アイは今夜も祈りを捧げている。その祈りが預言に繋がることはフェリックスを含め、神殿協会のほとんどの人間が知っていた。だからこそそれを無理に邪魔をしない。だから今の言葉も、重要なことではあるのだが、あくまで独り言の体で話をしなければならない。
しかし、そういう不利益がありながらも、オール・アイの預言が無ければ神殿協会がこれほどまで強固な組織にならなかったことも事実だ。
「ミティカは如何なさいましょうか。オリジナルフォーズの『リセットプログラム』を聞いて困惑しているようでしたが。……まあ、そう思うのも致し方ありませんね。実際、我々の生死に直接関わるものだ。ミティカはひどくあなたに陶酔していましたから、殊更驚いたのかもしれません」
なおも、オール・アイは反応しなかった。
フェリックスはそれを当然のように思っていたから、別に機嫌を損ねる事は無い。それは彼にとってルーチンめいたことと言っても過言では無かったからだ。実際の所、彼がどう嘆こうともそれは世界の意思には関係の無い話。
「……ミティカは、処分すべきかと思いますが。ぜひあなたの御言葉をお聞かせ願いたいものです」
独り言を投げるだけの時間が続く。
オール・アイは一切反応しないためか、フェリックスの寂しさが際立つ。
「ミティカ枢機卿の力は常々大きくなってきていると感じています。それに、あなたへの信仰心も増してきています。後者に対しては、この状況では都合が良すぎるほど素晴らしいことではありますが……。問題は、それからです。彼女は力を付けすぎた。彼女は問題ないかもしれないが、彼女の周りがあなたに危害を加える可能性もあるかもしれない。残念ながら、それは否定出来ないのが現状です。それについては如何なさいましょうか」
「……、」
オール・アイは漸く動き出した。
それと同時にフェリックスは慌てて跪く。
「……おお、オール・アイ様。どうなさったか。急に動くなどして……。もしかして、ミティカ枢機卿への罰を決めたと?」
「ミティカ枢機卿はまだ使える。だからそのままにしておくといい。ただし取り巻きは邪魔だ。あれは彼女の良さを曇らせる。そんな存在ならば要らない。必要ない。ならばどうするか?」
「……どうなさるおつもりですか」
フェリックスはオール・アイが何を言い出すのかさっぱり検討がつかなかった。だからこのような問いかけに問いかけで返すような感じになっているのだが、寧ろオール・アイはそれを狙っているためか、気にも留めなかった。
「……懐柔するのですよ。私が嫌いな人間なら難しい話かもしれませんが、ミティカはとっくに私の考えを理解し、同調しようとしている。であるならば懐柔は容易でしょう。それこそ、赤子の手を捻るように」
「赤子の……なんですって?」
「そういう例えですよ。実際にはやりません。それくらい簡単な話です、ということですよ。そのミティカを我々の勢力に引き抜くのは」
たまにフェリックスは考えていた。オール・アイは素晴らしい預言を口に出すが、それ以外の思考は常人のそれではない、と。
もちろん、オール・アイを人間だと認識しているのは殆ど居ないだろう。その誰もが、少なからず人間ではない別の存在だろうと曖昧な考えを持っていた。
とはいえ、オール・アイの持つ預言の力は求心力に適していると言えよう。いずれにせよ、彼女がそれを望もうが望むまいが人は集まるし物も集まる。彼女の力をうまく使ってやろうと考える人間もたくさん出てくることだろう。
フェリックスもその一人だった。決して彼は欲望を表に出すことはない。だからこそ権力争いではダークホースと呼ばれるわけだ。
とどのつまり、誰も気にしない存在。
それがフェリックスだった。
しかしながら彼が内に秘めたる想い、それは途轍もなく大きく、人一人で叶えられるものではない。
だから彼は好機を伺っていた。神殿協会で枢機卿という立場になっても、彼はじっとその好機を見ていた。いつになればその機会がやってくるのか、とじっくり待ち続けていた。
そして今、彼は最大の好機を目の前にしていた。
「フェリックス、どうなさいましたか?」
フェリックスはオール・アイの言葉を聞いて我に返る。彼としてはその僅かな間ではあったものの失態を見せてしまったため、どう取り繕うべきか画策していたのだが……。
「まあ、あなたも疲れている時もあるのでしょう。致し方ありませんし、それを苛めることもありませんよ。ただ、気をつけてくださいね」
「かたじけない」
何とか危機は免れたようだ。そう思いフェリックスは心の中でほっと溜息を吐いた。
「……それにしても、ミティカはかなり問題ですね。彼女はとても素晴らしいと思いますけれど、問題はその取り巻き。厄介ですねえ、ああいう存在は良い存在を悪くしかねない。まさかこんなところにいやしないとは思いますが……、しかして油断は出来ませんからね。やはり注視していかねばならないでしょう」
「オール・アイ。その……『注視』とは具体的に何をするつもりだ?」
それを聞いたオール・アイはニヤリと笑みを浮かべた。
不気味で、妖艶で、子供っぽくて、悲しげのあるその表情はほんとうに人間らしい。
「簡単なことですよ、取り巻きを完全に消し去る。それも完全に、ね。彼女には必要ない存在ですから。あなただってそれも理解しているはずでしょう?」
消し去る。
きっとその言葉の意味は、文字通りの意味なのだろう。例えば言葉はそうであっても実際には行動しない――正確に言えば行動には示さない言葉も、少なくないはずだ。
では、オール・アイはそのパターンか? と言われると話は違う。それはフェリックスも十分理解しているからだ。
だからフェリックスは、オール・アイには逆らわない。
それどころか、フェリックスは自分よりも強い存在には基本的に逆らわない。それが彼のモットーであり、スタンスだった。普通の人間だってそうするかもしれないが、それはフェリックスがフェリックスたる所以。彼がこの立場に立つことが出来たのも、多くのライバルが傷つき倒れていったからだ。そしてその争いの中で、いわゆるダークホースとして君臨出来たのも、それが理由だと言えるだろう。
「……フェリックス。あなたは私を裏切らないとは思いますが。大丈夫でしょうね?」
オール・アイは唐突にそんな質問をしてきた。
「大丈夫ですよ。何も問題ありません」
言い淀むことなく、フェリックスは答えた。
そうあるべきだと、彼は思っていたからだ。
しかし、フェリックスの身体はその刹那――巨大な剣に貫かれていた。
「……え?」
フェリックスはそのまま倒れ込む。
オール・アイはゆっくりとその身体に近づいて、ゆっくりと身体を落とした。
「あなたは私を信じているかもしれませんが、私はあなたを信じていないのですよ。それくらい理解していることかと思っていましたが……、案外理解していないものですね。歴史の傍観者として、私の使命なのかもしれませんが」
「使命……? 傍観者……? いったい、あなたは何を……」
「だから、簡単な話ですよ」
その声は、聞いたことの無い声だった。
どこか大人びた少年の声にも聞こえた、その声はオール・アイの目の前に立っていた。
「誰だ……! こんなところに入ってこれるのは、僅かな人間しかいないはずだ」
何とかやっとの思いで顔だけ上げて、その存在を見ようとする。
しかし、月の明かりだけで光源を取っているこの部屋では、その顔を見ることは叶わない。
「僕の名前は、そうだね。しる必要も無いと思うよ。だって、それをしったところでどうするというのかな? もう、あなたの命は無いと言っても過言では無いし、それはあなた自身が理解している話だろう?」
語りかけるような口調だったが、確かに彼の命はあと僅かだった。
それはフェリックス自身がよく理解していたことであったし、それを理解したくなかったのも紛れもない事実だろう。
でも、そうであっても。
フェリックスはその事実を曲げたかった。なぜ自分がこんなところで倒れなければならないのか、理解できなかったからだ。
「ま。仕方ないのかな。人間はどうしても高みを目指したくなるよね。それが自分の力量にあっていようが、あってなかろうが。それは関係ない。ただ自分が上に行ければそれでいい。そう思っているのだから、はっきり言って愚問だよね。疑問にもなりゃしない」
「アイン。それは私から告げましょう」
「アイン……?」
フェリックスは遠のく意識の中で、何とかその名前だけを言うことが出来た。
しかし。
その少年はただ笑うだけで、オール・アイの言葉には答えない。
「……アイン」
溜息を吐いて、オール・アイは言った。
「ほんとうは話をしてから……と思いましたが、あなたがそうなら仕方ありません。もう少しプログラムを修正しないとなりませんね」
「……?」
フェリックスはオール・アイの言葉に首を傾げる。
しかし、同時にこれはチャンスだと思った。この機会を逃してはならない。いかにしてこの絶好の機会を有効活用しようか……フェリックスはそんなことを考えていた。
しかしながら、実際には彼のそんな行動は間違っていて、そんなことを考える暇があるのならば態勢を整えるべきだったが、それはもう後の祭り。
刹那、アインの強烈な蹴りがフェリックスの身体に突き刺さった。
「……な……!」
そして、それを皮切りに彼は何度も何度も何度も何度も何度も蹴り続ける。
初めは辛うじて反応していたフェリックスだったが、徐々にその反応も薄れ、やがて何も反応を示さなくなった。
「よしなさい、アイン。もう彼は死んでいます」
それを聞いて、アインはようやく動きを止めた。
にやり、と笑みを浮かべて。
「ああ、そうだったね。申し訳なかった、とでも言えば良いのかな? いずれにせよ、彼は殺す予定だっただろうから、別にタイミングが変わっただけの話だろうし」
「それはそうですが……」
オール・アイはそう言って、ゆっくりとフェリックスの動かなくなった身体を見つめた。
「……それにしても、人間ってほんとうに脆いですよね? 何というか、普通それで死ぬか? って話ですけれど。それでほんとうに、世界を踏破出来ましたね?」
「人間は非力ですが、その分知識があるのですよ。だからこの世界で一番神に近い存在だと言われている。でも、そんな人間でもあるものは未だ手に入れていない。それが……」
「知恵の実、ですか」
「そう。知恵の実。それさえあれば人間は完璧な存在に……そう、神と同じ地位になることすら容易だと言われています。まあ、それを阻止するために私のような存在が居るわけですけれど」
「でも、どうしてそれをしようとしているんだ?」
アインの言葉にオール・アイは首を傾げる。
「なぜ、とは?」
「だって、別にそれをさせようとしたところで、害は無いはずだろ? 一応神の直属とは言ったところで、上司が替わったら施策が変わるのか? 待遇が変わるのか?」
「いいえ、自然の摂理……それに沿った形です。人間という存在が神へと昇華するのは間違っている。だから、我々は我々に沿った神というパッケージをアップデートし続けなければならない。それが私たち『シリーズ』の使命なのですよ。おわかりいただけますか、アイン」
「……シリーズ、ですか。実際の所、その名前は安直過ぎる気がしますよ。どうしてそのような名前になったのですか?」
「なったも何も、それについては仕方ないものだと思うしかありませんよ」
オール・アイはそこでニヒルな笑みを浮かべる。
今までまるで機械のような、愚直な反応しか示すことの無かった彼女だったが、そこでようやく彼女はどこか人間らしい表情を見せるのだった。
オール・アイの言葉を聞くまでも無く、アインはさらに話を続ける。
「いずれにせよ、これからは簡単に行動出来ないように見えるけれど。それはいったいどうやって処理するおつもりですか? オール・アイ……いや、『チェシャ猫』とでも言えばいいでしょうか?」
オール・アイ――チェシャ猫と呼ばれた少女は、それを聞いて微笑む。
「まだ時期は来ていないと思っていましたが……、どうやら私たちが思っている以上に世界は弱りつつあるのかもしれません」
「では、やはり、作戦を続行すると?」
「当然。それが我々の使命ですよ」
チェシャ猫の言葉に、アインは深い溜息を吐く。
「ならば、次の一手は?」
「次の一手?」
「まるで想像していなかったような雰囲気を漂わせているけれど、忘れたとは言わせないよ? ……次に何を起こすか、その預言と呼ばれた能力で探してみればいいじゃないか」
「預言は、実際に予知しているものではないということを知っていてその発言?」
「……さあ、どうでしょうね?」
チェシャ猫は微笑む。
その先に見つめていた未来は、いったい誰が立っているのか――それはチェシャ猫にしか分からない。