第二十四話(16)

神殿協会、総本部。
「オール・アイ。準備が整いました」
闇夜の祈祷室。レイシャリオはなおも祈祷を続けているオール・アイに語りかけた。
オール・アイはずっと祈祷を続けている。
世界の行く末を知っているのは、今も昔も彼女だけだ。そしてその預言の的中率から、彼女を信じる人間も多い。とどのつまり、オール・アイは今や一種の神と言っても過言では無かった。
「……オール・アイ、準備が出来ましたが。如何なさいますか」
祈祷の最中には話しかけないこと。
それは神殿協会の中で共通認識として存在していた。けれど、今はそういう常識が通用する事態では無い。現にオール・アイも『緊急時は除く』と発言しているため、そして、今がその緊急時だ。
「選択肢は無い。オリジナルフォーズを起動なさい。そうして、世界の破壊と再生を果たすのです」
対して、オール・アイは決して悩むことを見せなかった。
そのまま、導きの通りに発言しただけ――人によってはそう考えることもあるかもしれない。
しかしレイシャリオはそう考えなかった。それはオール・アイが預言したことではなくて、預言と偽っているただの彼女の意思なのではないか――そう考えていた。
もしそうであれば神と偽った罪に裁かれるべきだ。その場合は言語道断で重罪に問われる。
でも、その証拠を見つけない限り、告発することは出来ない。
それはレイシャリオにとって酷な話だった。当然ながら、相手は証拠を見せるような隙を与える訳がない。だからといって追いかけ続けると今度はこちらが隙を見せかねない。
だから今は膠着状態。
揺らぎの無い世界、といえば可愛いものかもしれないが――しかしてそれは間違いでは無い。
「揺らぎの無い世界を、あなたはどう思いますか」
オール・アイは普段と同じトーンで、レイシャリオにそう問いかけた。
レイシャリオは小さく首を傾げ、オール・アイの発言について考え始める。
「揺らぎの無い世界、ですか。特に思ったことはありませんが、まあ、平和なことは良いのでは無いですか? それとも、何か問題があるのでしょうか」
「大ありですよ。……まあ、それをあなたはどこまで考えるか、という話にはなりますが。いずれにせよ、平和であり続けること、それは正しいことかもしれませんが、そのスケールはあくまでも人間に関する話。例えば世界というスケールで考えると……途端に人間のスケールで考えていたことは、簡単に当てはまらなくなります。なぜだかおわかりですか?」
「世界には人間以外の生き物が暮らしていて、人間だけの考えで動かすことは難しいから……ですか」
オール・アイは頷くと、ここで漸くレイシャリオのほうを向いた。
「そうです。その通りですよ。この世界には、人間以外にも様々な生き物が存在しています。そしてそのピラミッドの上に人間は立っている。様々な科学技術を駆使した上での、話しではありますが」
「……お言葉ですが、それとオリジナルフォーズの起動に何の意味が?」
「きっとあなたも嫌と言うほど分かるはずですよ、レイシャリオ枢機卿」
それだけだった。
オール・アイはその言葉だけを口にして、再び祈祷に戻った。
幾度と声をかけたところでオール・アイは反応しなかった。レイシャリオはその言葉に何か含みがあるようでできる限りその謎を解明したかったが、ここで焦りを見せるわけにはいかない――そう思って、今回はその場を後にすることとした。
レイシャリオが立ち去ったのを確認して、オール・アイは一人笑みを浮かべていた。
レイシャリオはある段階まで情報をつかんでいる。そしてその予想を確信なものにしようとしている。オール・アイはそう考えていた。そして、レイシャリオの予想がその計画の神髄であることも、彼女は理解していた。
オール・アイは預言を神から受け取っているわけでは無い。だからといって、嘘を吐いているわけでもなかった。
「……きっと、あの枢機卿はそう遠くないうちに真実に辿り着くはず。けれど、それは人間たちにとって途方も無い真実だ。きっと、そう鵜呑みには出来ない」
オール・アイの計画は。
この世界の行く末は。
レイシャリオだけではなく、きっとほかの人間も聞いたところでその事実を信じることはないだろう。オール・アイはそう予想していた。
そして、レイシャリオがそのことを他人に話したところで誰にも信用されないし――確実に己の権威を傷つける結果になることも推測出来ていた。
だからレイシャリオは真実に辿り着いたところで、それを他人には話さない。
それをすれば、彼女に残された未来は自滅しか無いからだ。
「レイシャリオ……。彼女はとても頭が良い。人類にとっての宝といっても過言では無いでしょう」
オール・アイは呟き、窓から空を眺める。
外はすっかり夜になっているようで、ちょうど月の明かりが差し込んでいた。
「けれど、彼女がもし真実に辿り着いた時には……殺さねばなりませんねえ」
オール・アイは月を見て笑っていた。
そしてその光景と言葉は、誰にも伝わることは無いのだった。

◇◇◇

シルフェの剣を受け取ってから、キガクレノミコトの身体から徐々に光の粒のようなものが浮かび上がってきた。いや、キガクレノミコトだけではない。ストライガー以外のほかの『使徒』の身体も同じように光の粒が身体から浮かび上がってきていた。
「どうやら、我々がこの世界に居ることが出来るのもここまでのようですね」
キガクレノミコトがぽつりとそう呟いた。
「つまり、この世界から消えてしまう……ということですか」
僕の問いに、キガクレノミコトは頷く。
キガクレノミコトはゆっくりと口を開いて、
「なに、悲しむことではない。寧ろこれは世界が進化していくためのプロセスだと思ってもらえれば良い。世界がどうなろうと君たちの知ったことでは無いかもしれないが……いずれにせよ、古い世代からずっと生きている存在は、ここに存在し続けてはならない。それが人間であろうと、そうでないとしても。いつかは弊害が出てくるのですよ」
「でも、そうだとしても……。やっぱり、あなたたちが居るべきでは」
「それは人間の常識での問題でしょう。世界の、次元の、問題からしてみればとっても小さな……些細な問題ですから」
「些細な問題であったとしても……。それは変えることは出来ないのですか!」
僕は思わず感情的になってしまう。それは普段の僕とは違うのかもしれないけれど、でも、ここで一番情報を知っているであろう存在を逃してはならない――僕はそう考えていた。
「それは、あなたのエゴですよ」
まるで心の中を見透かされているような気がして、僕は言葉を失った。
すっかり姿形は残っておらず、輪郭がぼんやりと見えるくらいにまでキガクレノミコトの姿は消えていた。
「でも……」
「でも、ではありませんよ。あなたが何を望んでいるのかは分かりませんが……、いずれにせよ、あなたが私たちの残留を望んでいるのは、確実にあなたの自意識から来ているもの。とどのつまり、エゴイズムによるものです。あなたがそれを理解しているのか、理解していないのかは定かではありませんが」
図星だった。
だからこそ僕はキガクレノミコトに対して、何も言い返せなかった。
「……まあ、あなたに対して何か咎めるつもりはありません。私たちは消え去って、その力を剣に授ける。そして、行動はすべて人間に託すのですから。あなたの行動一つでこの世界が崩壊しかねない。そんな重要なことを、あなたに託したまま私たちは無責任にこの世界から旅立つのですから」
「そこまで言ったつもりは……」
「けれど、これだけは忘れないでおきなさい」
唐突に。
強い口調でキガクレノミコトは言い放つ。
「世界には大きな意思がある。そして我々はそれに従うしか無い。逆らうことは許されない。それは世界の上位にある【箱庭】が監視しているから」
「箱庭……? 意思……?」
ここに聞いてあまり聞いたことの無いパワーワードが出てきた。
いや、正確に言えば【箱庭】に関してはキガクレノミコトがさらりと言っていたか。その詳細についてはあまり言っていなかったように思えたけれど。確か、ムーンリットという創造神が居る場所だったか?
いや、そんなことは関係ない。
なんでキガクレノミコトは急にそんなことを?
「良いですか、風間修一。はっきり言ってしまえば、私たちだけでは箱庭へと向かうことは不可能でしょう。ですから、この世界の仕組みを変えることは出来ません。ですが、もし可能ならば……、いつかは出来るはずです。そして、箱庭に向かったなら、これだけは決してしてはなりません」
そこでキガクレノミコトの身体、その輪郭も消えていく。
キガクレノミコトの言葉も、徐々にノイズが混じり聞こえなくなっていく。
「……神の…………は…………耐え切れ…………だから…………」
そうして、キガクレノミコトの身体は完全に消失した。
彼女の身体から出てきた光の粒は、僕が持っていたシルフェの剣に注がれていく。
光の粒が注がれた剣は、どこか神聖な雰囲気を放っているように見えた。
「これが……」
「さあ、行きましょう。風間修一」
残されたストライガーは、僕に向かって言った。
彼女は使徒として、唯一残った存在だ。そして使徒の中で唯一の人間だ。だからこの世界に存在し続けることが出来た。
だから彼女はずっとここに居るのだろう。
「私も力を使ったので、使徒としての特別な力は無くなってしまいましたが……、いいえ、今はそう言っている場合ではありません。シルフェの剣に力が注がれた以上、もう時間が無いのです。急いで、宣言をせねばなりません」
そう言って僕の手を取ると、足早に会議場を後にする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。宣言って? いったい、誰に対して何を宣言するんだ?」
僕の質問に対して、さも当然と言えるような態度で、こちらを振り向くこともせずに答えた。
「何を宣言するか、って? それは分かりきった話では無いですか。この世界の人間に対して、オリジナルフォーズという脅威に立ち向かう。大いなる戦いの始まりを、今ここに人間の前で宣言するのです」

◇◇◇

「宣言をすることについて、私が司会を進行します。あなたはただ、従っていればいいだけです。お飾り、と言えば言い方は悪いかもしれませんが、正直その通りと言ってもいいでしょう。……けれど、あなたの意思を貫いてもらって構いません」
会議場を後にした僕とストライガーは、地上にある茶屋に居た。茶屋と言っても人が来ているわけでは無くて、カウンターに店員が一人居るだけの非常にシンプルなお店だ。お客さんは来ないのだろうか、というシンプルな疑問を浮かべたけれど、それはあまり気にしないほうが身のためだろう。
「……ほんとうに、みんな消えちゃったのね」
店員さんが悲しそうな溜息を吐いて、そう言った。
「消えた、わけじゃないですよ」
そう言ったのはストライガーだった。
ストライガーはそう落ち込まないようにしているとはいえ、それでも抑え切れていないようだ。
「……それは、いったい? というより、あなただけ残ったのは……」
「言いませんでしたっけ。私は、もとは人間だったんですよ。まあ、それはあまり知識として蓄える必要も無いことではありますけれど」
「そうでしたっけ?」
案外重要な情報を暴露したように見えるけれど、店員さんはあまり気にしていない様子。というか、昔聞いていたけれど忘れていた――とかそんなように見える。
店員さんは持っていた水差しをカウンターに置いて、
「でも、これから何を始めるつもり? あの子たちが居なくなってしまって、ここで暮らしていた私たちはどうすれば良いのかしら?」
「それは簡単なことですよ。……それと、あの子たち、とは言わないほうがいいって前々から言っていたじゃないですか。ああいうなりをしていますが、彼らは立派な神様です。大神道会の崇敬対象であり最高権力者である存在。それが使徒でしたから」
「それはそうだけれど……、もう消えちゃったのでしょう? だったら、別に呼び名でどうこう気にすることも無いと思うわよ。私は別に蔑称でそう呼んでいるわけでは無いのだし」
「それはそうかもしれませんが……。いや、言い過ぎました。きっと、こんな争いはキガクレノミコトは望んでいないでしょう。だから、ここは話を一旦リセットさせましょう。風間修一、良いですか」
ここで話は唐突に僕に振られることとなった。
何というか、もっと良い話題の振り方があったんじゃないだろうか。
「……何でしょうか」
「その様子だときちんと話を聞いていなかったようですが、きちんと説明いたしましょう。いいですか、これからあなたは人類にある宣言をしてもらいます。それは――」
「戦争をおっ始める、ということですか。正直言って、僕は反対ですよ。どうして戦争をしないといけないんですか。やるなら神の扉を開くために尽力した方が良いと思いますが」
「それをしているよりも早く、オリジナルフォーズがここにやってくるとしたら? 正確には、この世界の人間を滅ぼすとしたら? それでもあなたは無視すると言いたいのですか」
「……それは、」
それは違う。間違っていない。
僕はこの世界の人間を救うために、一番手っ取り早い方法を選択しただけに過ぎない。
けれど、それは間違っているのだろうか?
やはりそれは、間違っているのだろうか?
「……まあ、別にいいですけれどね。あなたがどうしようと、それはあなたの自由ですよ」
案外、あっさりとストライガーは退いた。
しかし、直ぐにストライガーは右手の人差し指を立てると、
「でも、あなたの行動が即世界の行く末に直結するということはお忘れ無く。あなたが神の扉を開こうと思っているのは大いに結構。しかし、忘れたつもりではありませんね? キガクレノミコトも言っていた、あの言葉を。神の扉を開くには、ムーンリットに会いに行くには、不可能であると。そしてそれは、世界の『意思』が関係している……と」
「世界の、意思……」
確かに、キガクレノミコトは言っていた。
世界の意思があるから、たとえ可能であったとしても神の箱庭――ムーンリットが存在するその世界へ向かうことは不可能だと。
もしムーンリットに会いに行くならば、ムーンリットに認められるかムーンリットに気付かれないように神の扉を開けるほか無い。
しかし、今の僕たちにはそれは不可能だ。
「……ならば、どうしますか?」
まるで僕の心を読んだかのように、ストライガーは訊ねる。
僕にはもう選択肢は一つしか存在しなかった。
だから、僕は言った。
「……戦争を、始めるしか無いようだな。非常に不本意ではあるけれど」
最後に付け足した言葉は嫌々行動に示しているだけ。そう店員さんやストライガーに思われたかもしれない。
しかし、それでも構わない。
この世界の人類を救うために、僕が今できることをするだけ。ただ、それだけのことだ。

◇◇◇

ある地下。レイシャリオと彼女の部下であるティリアは長く続く階段を降りていた。
階段は神殿から少し離れた宿舎から地下深く伸びており、それは限られた人間しか入ることを許されない。レイシャリオもその『限られた人間』の一人だった。
「レイシャリオ様、ほんとうにオール・アイの命令に従うっすか?」
「……従うしか無いでしょう。彼女の後ろには、大きな権力がある。否、正確に言えば彼女の力によって大きな後ろ盾を作り出すことが出来ている、と言ってもいいでしょう。今の私たちに、オール・アイを正面からなんとかすることは出来ません」
「では、どうすれば……。このまま、オール・アイの部下に成り下がるつもりっすか」
「そこまでは考えていませんよ。ただ、今は時を待っているだけです」
「時を待つ?」
ティリアは首を傾げる。
「ええ。紛れもなく、時を待っているだけに過ぎません。けれど、あなたの言うとおり、オール・アイの部下になってしまうことになるのは間違いないでしょうね。それをあなたは気に入らないのでしょう?」
「当然っすよ。ただ、レイシャリオ様が従うならば……それも致し方ないことと受け入れるしかないっすけど」
ティリアの言葉に、レイシャリオは頭を下げる。
彼女にとって、ティリアは数少ない信用出来る部下だ。何も部下の人数が少ないわけではない。彼女の中における『信頼』の重要度が高いだけだ。
ティリアとレイシャリオは、長く上司と部下の関係にある。ティリアが神殿協会に入ったのは、レイシャリオが原因であると言われている。しかしながら、その関係性は彼女たちにしか分からない。ほかの人間は彼女たちの関係性をただの上司と部下の関係としか判断していない――というわけだ。
「……ティリア、あなたは長く私に仕えてくれた。それはとても感謝しているわ」
「何を、おっしゃっているんすか? まるでその発言だと……」
「あなたには、もうこれ以上この神殿協会の悪に加担してほしくないわ」
レイシャリオは立ち止まり、踵を返した。
そしてその瞳は、まっすぐティリアを見つめていた。
ティリアはレイシャリオの表情を見て、それが彼女の意思表示として――彼女の考えとして、強固なものであることを理解した。
理解したからこそ、ティリアは一歩前に踏み込んだ。
「……レイシャリオ様、私がどんな人間だったか、知ってるっすよね?」
ティリアの表情もまた、強張っていく。それはレイシャリオも直ぐに理解していた。理解できないほど、長い付き合いではない。
だからレイシャリオもそう簡単に騙せるものではないと理解していた。
しかしながら、そうであったとしても――。
「知っているわ、ティリア。あなたはほんとうに強い子だということも、あなたがどれほどの悲しみを抱えていたかということも、そしてあなたがどれほど……神殿協会に救いを求めていたかも」
「なら、どうして……」
「これは、あなたのことを思って、の話」
きっとそこまで言わないと、ティリアは納得してくれないだろう。
レイシャリオはそう考えて、さらに踏み込んだ話を進めていく。
「きっと、これからこの世界は違う世界へと進んでいくと思う。世界そのものは変わっていくことはないだろうけれど、それ以外が徐々に変化していくことでしょう」
「それは……それもオール・アイの預言ですか?」
「いいえ。私の妄言ですよ」
オール・アイは常に世界の未来を見通している。
しかしながら、それを彼女自身が実行することは適わない。彼女だけではなく、彼女以外の存在を使うことで、自らの力によって預言を実現させている。
それがオール・アイの行動だった。
「妄言であるならば、それが実現出来ない可能性だって……」
「あなたは、いったい何を見てきたのですか? オール・アイがいったい誰を使役していると?」
「しかし、オール・アイが使役している勢力はあなたの勢力とほぼ大差ないくらいじゃないっすか。それでどうして諦める理由になるんすか」
「オール・アイは……。確かに、あの勢力に真正面から向かえばなんとかなるかもしれませんね。けれど、それは妄想です。現実的に、オール・アイの行動に神殿協会全体が動きつつあるのは自明。ならば、」
「だったら潔く逃げるって言うんすか! レイシャリオ様らしく無いっすよ、そんな後ろ向きな考えは!」
「私は……」
レイシャリオは、一人では行動することが出来たとしても、それを伴うには彼女とともに居る人間――いわゆる『レイシャリオ派』と呼ばれる人たちにも被害を被ってしまうことについて不安視していた。
そもそもそれは百も承知でついてきているとはいえ、いざ死が目の前にあれば怖くなるのも当然だろう。たとえ聖職者であったとしても、それが神の国への誘いであったとしても、それは彼女たちにとっての恐怖そのものには変わりなかった。
「でも、あなたは」
それでも、ティリアは話を続ける。
たとえ冷たく突き放されたとしても、目の前に居るその人間は――かつて彼女の命を救った恩人だったからだ。
それでも彼女は彼女を慕っていた。
それはティリアが、レイシャリオに対する感謝の意を示している行為――そのものであるといえるだろう。
それでも。
「私を救ってくれた……恩人に、私は……恩を返すことすら出来ないんすか?」
ティリアの言ったその言葉に、レイシャリオは何も言い返すことは出来ない。
それは彼女の中に、未だわだかまりがあるからかもしれない。
「……これから先、何が起こるか分かりません。それでもあなたは私と一緒に向かおうとするのですか?」
「当然じゃないっすか。それは私がレイシャリオ様に仕える時に、とっくに誓っていたことっすよ!」
即答だった。
裏を返せば、それほどにティリアがレイシャリオを信頼している証と言ってもいいだろう。
「……あなたはそう言ってくれると、私はとてもうれしいですね。正直な話、私はずっと緊張していたのですよ。あなたの話はいつも私の緊張を解してくれる。それを、あなたが知っているか知っていないかはまた別の話ではありますが」
レイシャリオは孤独だった。
それは彼女が、いわゆるレイシャリオ一派としての勢力を形成していたとしても、それは孤独の裏返しに過ぎなかった。
彼女は悲しむ姿を見せない。
それは彼女が枢機卿という地位に立っているから。
枢機卿は、常に強くあらねばならない。
枢機卿は、常に強者たる存在であらねばならない。
枢機卿は、常に隙を見せてはならない。
その観念に駆られて、ずっとレイシャリオは生き続けてきた。
若くして枢機卿の地位に上り詰めた彼女は、エリートの中のエリートとして神殿協会でも一目置かれていた存在だった。
そもそも枢機卿自体が神殿協会の最高権力者として存在しており、彼女は二十八歳の若さにして枢機卿になった前代未聞の過去がある。
そのため、彼女を恨む人間も少なくなく、襲撃を受ける機会も多い。
彼女が私用の護衛としてティリアを枢機卿付に任命したのは、半年前のことだった。
ティリアは盗賊だった。神を信じぬ存在として神殿協会から目を付けられている存在の一つに盗賊があるが、もともとティリアはその盗賊の副長を務めていた。
ティリア曰く、レイシャリオの姿が格好良く、その場で神殿協会に入りたいと頼み込んだのだという。
対してレイシャリオも強い護衛を探していた。別に彼女の一派が全員信用出来ないわけではないが、信用出来て、強い存在は何人でも居たほうがいい。しかしあまりに多すぎると転覆する可能性があるとほかの枢機卿に疑われる懸念もあるが、それも考慮に入れた上での判断だった。
ティリアは魔法を使えない。しかし、盗賊の頃から槍術に秀でていた彼女は、錫杖を使うシスターとは違い、槍の形をした特殊な錫杖の使用を認められている。
それは風の精霊の加護を受けており、普通よりもジャンプの跳躍が浮かび上がると言われている。現にそれは彼女の戦闘において大いに役立っている。
「……ティリア」
レイシャリオは、彼女の気持ちに気付いていなかったのかもしれない。
レイシャリオはこれ以上犠牲を出したくなかった。
ティリアはレイシャリオを守り通したかった。見捨てられたくなかった。
お互いがお互いに、その気持ちに気付いていなかった。
「ティリア、分かりました。あなたの言い分もごもっともです。ですが、私はあなたを危険な目に遭わせたく無かった。確かにあなたは私の護衛……ボディーガードです。でも、あなたはこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないのです。それをどうか、理解してほしい。受け入れてほしい」
沈黙の時間が流れる。
それは僅か数秒の出来事ではあったものの、彼女たち当事者間にとってみれば永遠にも似た時間が流れたに違いない。
「……やっぱり、分かりません」
口を開いたのは、ティリアからだった。
燭台の火がゆらりと揺れる。
「分からなくても構いません」
レイシャリオは冷たくティリアの言葉に答えた。
ティリアはレイシャリオのことを嫌っているわけではない。寧ろ逆だった。しかしながら、そうであるからこそ、レイシャリオの言っていることが分からない。
見つめ合う二人の関係は、一言で表すことなど到底考えられない。
だからこそ、ティリアもレイシャリオも、簡単に別離を告げることが出来ないのだった。
「構わない、って。そんなに冷たく言わなくてもいいじゃないすか」
「あなたのためを思っているのです。どうか、分かってください」
ティリアとレイシャリオの会話は平行線を辿るだけだ。このままではどちらかが折れない限り話は終わることがない。
レイシャリオはここでティリアと分かれて、危険な目に遭うのは自分だけで構わないと考えている。
対して、ティリアは自分はレイシャリオのボディーガードなのだから最後まで共にありたい、そう考えていた。
「……今は時間もありません。分かりました。あなたの意思を尊重して、一緒に参りましょう。ただし、あなたはこれから何を見ることになるか。そしてそれによって後悔するかもしれませんよ?」
「レイシャリオ様のボディーガードとして居る以上、後悔はしないっすよ!」
後悔しない。
それは単純な言葉ではあるが、そう簡単に言える言葉でも無い。
難しい認識であるかもしれないが――しかしながら、彼女の認識はそれで間違っていない。後悔しないと言い切るには、それなりの覚悟が必要だ。そして、ティリアはそれを保持していた。たとえ、彼女がそれを認識していなかったとしても。
「あなたはほんとうに元気ですね。笑顔を見せている、と言ってもいいでしょう。ほんとうに、それが私にとって――」
支えだった。
支柱だった。
願いだった。
今まで押しつぶされそうな程の重圧プレッシャーを感じつつ仕事をこなしてきた彼女にとって、数少ない心の支え。
それがティリアだった。
「では、先に進みましょうか」
再び、レイシャリオは前を向いてゆっくりと階段を降りていく。
長い中断に思えたが、案外それは一瞬だった。彼女たちの話し合いが長く感じただけであって、第三者から観測すれば僅か数分の出来事に過ぎない。
「この先には、何があるんすか?」
ティリアが問いかける。
しかし、レイシャリオは直ぐにその質問に答えることは無く、数瞬の間を置いて、
「この先にあるのは、もうあなたにもとっくに分かっている事実ではありませんか?」
「……え?」
ティリアは目を丸くする。
確かに彼女の中にも、この先にあるものが何であるか――何となく想像はしていた。けれど、レイシャリオのその発言はまるでその心の中を見通していたような、そんな感覚すら感じられた。
とはいったものの、ティリアの中には未だ一抹の不安が過ぎっていた。
正確には、ずっとその不安が頭の中を滞留している――と言ってもいいのだろうか。
「まあ、いいでしょう。あなたは、あまりこの神殿協会の内部事情には詳しくありませんからね。あなたは常に神へ祈りを捧げ、シスターとしてその役目を担ってきました。けれど、あなたは知らない。神殿協会の裏の顔を。我々がこれほどの規模の組織になり得た理由を」
やがて、レイシャリオは立ち止まる。
そこにあったのは小さな木の扉だった。
鍵も付けられていないその扉を開けると、風が吹き込んできた。
否、正確には違う。風が吸い込まれている。
そこは仄暗い空間だった。壁に燭台が取り付けられているから何とか状況が把握できるといったものの、それでも視界は限定される。壁は今まで石煉瓦で作られていた物とは異なり、岩肌がそのままにされていた。整備はされていないらしい。
しかし燭台に火がついているということは――ここに誰か来ることがあるということだ。さすがのティリアもそこまで分からないわけでは無かった。
「……ここは、いったい?」
「姿を見せてあげたほうがいいでしょうね。そのほうがきっと、あなたの理解も早いことでしょうから」
そう言ってレイシャリオはどこからか取り出した手燭に火を付ける。
そして、空に手燭を掲げた。
「これは……!」
そこに浮かび上がったのは、巨大な人間の顔だった。
否、正確に言えばそれは間違っている。人間の顔だけではなく、馬、牛、羊といった様々な動物の顔や足など、様々なパーツがごちゃ混ぜになっている。
そしてそれは、一つの大きな異形を作り上げていた。
恐怖というよりも、畏怖に近い。
ティリアがそれを初めて見て抱いた感情は、それだった。
「これは……いったい」
何とか心を落ち着かせて、ティリアはレイシャリオに訊ねる。
レイシャリオは踵を返し、ゆっくりと頷く。その笑みは、手燭の火に照らされて、どこか不気味に映し出されていた。
「これは、オリジナルフォーズ。オール・アイが言っていたでしょう? 復活し、動かせ、と。彼女が言っていたその預言は、正確に言えば間違っていた。既にオリジナルフォーズは復活していた。しかし、そのエネルギーが足りないのか、或いはエネルギーは足りていてもプロセスが足りていないのか分かりませんが……、未だこのバケモノは眠りに就いたままです。いつ目を覚ますのか、分かったものではありませんが」
淡々と。
まるで授業中、学生に説明をする先生のように。
ただ冷静に、レイシャリオはその異形について説明をした。