第二十四話(14)

「とにかく、目的地を設定しておかないと……」
タブレットの画面をタッチして、路線図を表示させる。そして、『ブルーツリー四階南入り口前』と書かれた駅名を長押しする。これで目的地の設定は完了だ。
音も立てず、ゆっくりとシャトルが動き出す。シャトルは運用上の問題と降りたい駅を通過してしまうミスに対応するために、乗客が停車駅を設定するまで動き出さないようにプログラミングされている。だから、素早く正確に駅名を設定しなければならない。そうしないと、後のシャトルに乗る人が乗れなくなってしまう。
シャトルの運用は人間に便利を与えたが、同時に遅刻の言い訳が出来なくなった――そんなことを聞いたことがある。
電車は地上或いは二階以上の高架を走っていた。とどのつまり、地に足を付けて走っていた。だから線路に何か侵入したり、電線が切断されたり、様々な理由によって遅延が発生してしまうリスクが高かった。
その場合、『遅刻の言い訳』として有益だったのが、電車の遅延だったらしい。……とはいえ、実際使っている路線がそうならなければその言い訳も通用しないと思うけれど、そこは気にしなかったのだろうか。
そんなことはさておき、硬化ケーブルを使用しているシャトルはそのような心配は無い。そもそも空中を走っているし、硬化ケーブルは理論上数百年単位で劣化は見られないらしい。点検をすることはあるが、それは真夜中の数時間に行われているから、人々の通勤・通学に影響を及ぼすことはほぼ無い。
「……まあ、そんなことはあまり考えたことが無かったけれど」
もし、放射能が世界に拡散されていけばどうなるのだろうか。
シャトルに乗っている間、暇なのでふとそのようなことを考えてしまう。
まず、世界はひとたまりも無いだろう。環境が大幅に変化してしまい、その変化に適応出来ない動物は死滅する。それだけではない。仮に適応出来たとしてもその動物は放射能に汚染されているわけだから、奇形種が生まれることは間違いないし、その肉を食べることで放射能に汚染する――いわゆる『二次汚染』をしてもおかしくはない。
政府はそれは有り得ない、と言いつつも冷凍保存に漏れた人間についてはある意味見捨てているような発言をしていた。
種の保存を選ぶことは何ら間違っていないと思う。この混乱で寧ろ冷静な判断が出来たほうではあると思う。
けれど、やはりどうしても『混乱』は間違いなく残る。そしてそれを如何に縮小させていくか、それが腕の見せどころと言ってもいいのかもしれない。
まあ、現状政府は黙りを決め込んでいるようで、もしかしたら冷凍保存の対象者を無事に冷凍保存させるまで何も言わないのかもしれないけれど。だとすれば、僕は政府の見解を聞くこと無く長い時間旅行へと旅立つことになるわけだが。
シャトルから見える景色は移ろいでいく。そして徐々に目的地の姿が近づいてきていた。
ブルーツリー。
世界最高の高さを誇る電波塔であり、関東一円のテレビ電波を発射している。同時に二つの展望台を備える観光塔となっているため、多くの観光客が訪れるスポットだ。
ブルーツリーが魅力と言われるポイントは、その塔の彩色。
青く輝く塔は、鉄筋コンクリート製のタワーに青い色が着色されている。しかし、ただの青ではなく、スカイブルー――空のように透き通った青。それは空に異質な存在であるブルーツリーが青空に溶け込むように、と設計されたことが理由だと聞いたことがある。
結局のところそこまで広く認知されなかったらしいけれど、空にそびえる青い塔は、風景によく映える。
この世界は果たしてどうなってしまうのだろう。
母親は、クラスメイトは、この世界の何億人もの人々は。
汚染された世界で、放射能の影響が消えるまで、生きていくしか無いのだろうか。
そして、僕たちは――影響が消えるまで冷凍保存されなければならないのか。
「……このまま、眠ったままのほうがいいのかな」
ふと、そんなことを考えた。
だって世界は永遠にも近い時間、放射能によって覆い尽くされる。そうして生まれる世界は死の世界そのものだ。それは、歴史の教科書で幾度となく発生した原子力発電所の事故の一部始終とその後日談を見ているから容易に想像出来る。
死の歴史を繰り返すということ。それは人間にとって間違っていることでは無いか。
間違っていることを間違ったまま続けられるということ。
つまり何も学習していないということ。
それは、きっと終わりの無い無間地獄に近いもの。
『まもなく、目的地へ到着いたします』
頭上のスピーカーから機械音声が聞こえて、僕は我に返った。
外の景色を眺めると、青い塔が見えてくる。
ブルーツリー。あそこに僕の方舟がある。果たしてそれが棺桶になってしまうのか、揺り籠になってしまうのかどうかはまた分からないけれど。

◇◇◇

ブルーツリー四階南入り口前駅はシャトル四台分のホームが二つあるだけの無機質なものだった。とはいえ何もこれが珍しいことではなく、シャトルの運賃は基本的にシャトルに乗降車する際に、スマートフォンを通して差し引かれる。もちろん、事前にシャトル乗車アプリケーションにチャージしておく必要があるわけだが。
ブルーツリーに入ると、スタッフと思われる白衣姿の男性が声をかけてきた。
「冷凍保存の対象者ですか?」
こくり、と僕は頷いてカードを差し出す。
それを見た男性は笑みを浮かべて、僕のカードにスマートフォンのような機械を押しつけた。
「はい。問題ありません。それでは、ご案内いたします」
そうして男性は早足でブルーツリーの中を歩き始める。僕はそれに必死に追いつこうと、早足で追いかけ始めた。
ブルーツリーのエレベーターに乗り込み、地下四階に向かう。するとそこはほかのフロアと同じく白を基調にした空間が出現した――わけではなく、それとは対照的な黒い壁の空間が姿を見せた。
とてもシックな風景に見えたが、ある種不安にさせる雰囲気だった。
ちょうど目の前にはカウンターがあった。カウンターには同じく白衣姿の女性が僕を待ち構えていた。
僕が声をかける前に、白衣姿の男性が女性に語りかける。
「対象者だ。急いで案内してくれ。僕はまた元の場所に戻るから。……あと、十五名だったか?」
「そうです。よろしくお願いしますね。……ええと、風間修一さんですね。お待ちしておりました。奥に冷凍保存のスペースが御座いますので、そちらへご案内いたします」
声をかけられ、僕は一先ずその女性についていくことにした。
女性にエスコートされることは今まで無かったけれど、これはこれで経験しておくものだな、と何となく思った。ほんとうに何となく、だけれど。
「この場所では、どれくらいの人間が冷凍保存されるんですか?」
通路を歩くさなか、僕は女性に質問してみた。
何せ誰も居ない通路を歩いているから、歩いている時は暇で仕方が無いのだ。
「ここには三百人が冷凍保存出来ます。世界全体では千五百人くらいでしょうか。ここは本国に次いで二番目の規模で冷凍保存する量を確保いたしました。まあ、それも冷凍保存の技術を生み出したから、かもしれませんが」
この国の人口は、およそ一億人。
それから僅か三百人しか生き延びることが許されない。いや、正確に言えば残りの九千九百九十九万九千七百人も生き残ることは出来るけれど、放射能の影響を受けるということを考えると、五体満足に生きられるかどうかは一概に可能とは言えない。
しばらく歩くと、ドアが目の前に見えてきた。
女性に扉を開けてもらい、僕はそのまま中に入る。
部屋の中にはカプセルがたくさん置かれていた。カプセルは扉が開かれているものもあれば、既に閉じているものもあった。恐らく閉じているものはもう人が入っているものなのだろうか。
「まずは、身体を綺麗にしていただきます。向かいの扉を開けるとシャワールームになっているのでそこを利用してください。貴重品はそのままカプセルに入れていただく形で問題ありません。カプセルに入ると、睡眠導入剤の成分が入ったミストが満たされていきます。そして、ゆっくりと、まるで揺り籠に入っている赤子のように眠りにつくことが出来るのです。そして、その状態で冷凍保存を実施します。冷凍保存を実施するにあたって、眠っている状態が一番良いと言われていますからね」
矢継ぎ早に説明された内容を、僕は何となくではあるが理解していた。
だから僕は頷いて、貴重品をカプセルに仕舞って、シャワールームへと向かった。
扉を開けたときに、一人の女性とすれ違った。

――思えば、あれが僕と彼女の初めての出会いだったのかもしれない。

「あなたは……若い人に見えますけれど」
声をかけてきたのは、女性のほうからだった。よく見てみると、若い。僕と同じくらいじゃないか、と思うくらいだった。バスローブのような格好をしているので、年齢が判断しづらかった、と言えばそこまでなのだけれど。
女性の言葉に僕は頷く。
「あなたは……」
「私もここで冷凍保存するんですよ。ま、ここに居る人はみんなそうかもしれないですけれどね」
そう微笑みかけて、彼女は立ち去っていった。
僕はそれをただ見送ることしか出来なかった。
シャワーを終えて、あとは冷凍保存されるのみ。そう思って自分のカプセルに戻ると、その隣のカプセルに、彼女は居た。
「どうしたんですか、こんなところで」
彼女は僕に気付いて、問いかけてきた。
「ここが僕のカプセルなので」
僕は正直に答えた。
まあ、嘘を吐くまでもないことではあるのだけれど。
それを聞いた彼女は幾度か頷きつつ、
「ああ、そうだったんですね。私はこのカプセルで少し気持ちを落ち着かせていました。……食事をあまり取らないように、とは言われましたが。飲み物くらいなら問題ない、とは言っていたのでホットミルクを飲んでいたところです。睡眠に近いものですから落ち着くかな、とは思っていましたが、案外変わりませんね」
「そういうものですか」
僕はカプセルに入り、腰掛ける。
カプセルの中は案外広く、カプセルホテルの一スペースよりも大きく見える。さすがに両手を広げることは出来ないけれど、寝返りを打つことだったら出来るかもしれない。まあ、荷物のスペースを考慮するとそれも難しいかもしれないけれど。
「あなたは、怖くないんですか」
僕に問いかける彼女の瞳は、震えていた。
「……怖くない、と言ったら嘘になります」
僕はしばらく考えて、そう答えた。
そして彼女の目をしっかりと見つめて、
「でも、これも運命かな、とは思っていますよ。受け入れることも大事なのかも」
「あなたは、強いんですね」
「そうですかね。ただ僕は、普通に考えているだけですよ。人間性は、脆いです。きっと、あなたよりも」
「そんなものでしょうか」
彼女は一つ欠伸をして、持っていた紙コップを直ぐそばにあるゴミ箱に捨てた。
「ああ、すいません。……ホットミルクを飲んで少しだけ気持ちが落ち着きました。もしかしたら、最後にあなたと話したからかもしれないですが」
「なら、良かったです」
僕もそろそろ眠りにつこう。
そう思って、横になろうとしたちょうどそのときだった。
「名前を言い合いませんか」
彼女が急にそんなことを言い出した。
僕はどうしてですか、と訊ねると彼女はふふと笑みを浮かべて、
「こうして隣になれたのも何かの縁だと思うんですよ。だから、お互いが起きたら一緒に力を合わせて頑張れないかな、と思いまして」
なるほど、と言いつつ僕は頷いた。
「あの……、もしだめだったら言っていただければいいので」
「別に問題ありませんよ。確かに、運命ってものはありますし。僕は、風間修一といいます。十九歳……、いや、今日で二十歳だったかな」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。まあ、でも……、次に目を覚ますときが何年後か分からないですけれど」
もしかしたら百年後か、千年後かもしれないし。
「私は、木葉秋穂といいます。秋の穂と書いて、秋穂です」
「ありがとう、木葉さん。これからもよろしく」
「風間さんも、よろしくお願いします」
そうしてカプセルの扉が閉まっていく。
ミストがカプセル内に注入されていき――やがて意識が遠のいていく。
次に目を覚ますのは、どのくらい後のことなのだろうか。想像もつかない。けれど、もし可能なら――もっと希望のある世界であってほしいものだけれど。
そして、僕の意識はそこで途絶えた。