第二十四話(10)

「ムーン……リット?」
僕はキガクレノミコトから聞いたその単語を反芻していた。
しかしながら反芻したところでムーンリットが何であるかを理解できるはずも思い出せるはずもない。そもそもそんな単語を知らないのだから。しかし、創造神と言っていたことを鑑みると、とんでもなく偉い存在であることは自ずと理解できる。僕が知らないだけで元の世界にもムーンリットは居ただけなのかもしれない。
「ムーンリットのことについて、知らないのも無理はない。そもそもムーンリットはこの世界の理からは外れている……否、正確には『外された』存在だ。一度は気紛れで現世に降りたことがあるらしいが、それも今は昔の話だ。世迷い言と言われてもおかしくないくらい昔の話だから、誰もその話を信じなくなったというだけかもしれないがね」
「ムーンリットとは……どのような存在なのですか?」
僕は俄然ムーンリットに興味が湧いた。それ程ブラックボックスに包まれていた存在が居るなんて。興味が湧いた、というよりも真実を知りたいというその探究心が強かったかもしれないが。
「残念に思うかもしれないが、」
キガクレノミコトはそう前置きして、僕の質問に答え始める。
「君が思っている以上にムーンリットはブラックボックスな存在だ。いや、既に君も気付いているかもしれない。けれど、それよりも、君が思っている以上に、あの『闇』は深いのだ」
「……そうですか」
だからといって、そこで簡単に引き下がるつもりもない。
「まるで、それだけで話を終えるのはつまらない、といった表情だな」
「そんなつもりは……」
あっさりとキガクレノミコトに見破られてしまい、僕は取り繕うとした。
しかし、キガクレノミコトはその反応を見て首を横に振った。
「別に気にすることはない。我々もムーンリットには些か気になっていることもあるし、寧ろ出来ることなら直接会いに行きたいとも思っているくらいだ。だがまあ、ムーンリットと私達では住む次元が違う。簡単に言えば、目の前にいるけど住むレイヤーが違うといった感じか」
「レイヤー……ですか」
まあ、確かにレイヤーには表層とかそういった意味があった気がする。というか、もともとそんな意味だ。
「とはいえ、ムーンリットをこのまま放っておく我々でもない」
キガクレノミコトはゆっくりと頷いた。
「正直、何処まで出来るかは解らないが、我々も策を練っている。なに、単純な話だ。我々だって神様の端くれ。たとえムーンリットに作られた偶像とはいえ、次元に『風穴』を開けることも出来るだろう」
「風穴……ですか」
「そうだ。文字通り、穴を開ける。この場合は君達人間も含まれるが……我々の住むレイヤーと、創造神ムーンリットの住むレイヤーには大きな壁がある。仮にそれを次元壁と名付けようか。その次元壁は如何なる干渉も受けない。簡単に言えば……ううむ、ついこの言い回しをしてしまうな。色んな奴から突っ込まれてしまうのだが、それに関しては致し方ない。……話を戻すぞ。簡単に言えば、その次元壁には仮に人間が強力な兵器を使ったとしても壊すどころか傷一つつかないだろう」
「……というより、対象は何処にあるんですか。壊す対象が『目に見えない』以上、破壊なんて出来ないはずです」
「その通り」
キガクレノミコトは不敵な笑みを零す。
まるで僕のこの発言を引き出したかったようにも見えた。
「いや、何も悪気があってこのような言い回しをしているわけではない。君に問いかけたくて、考えて欲しくて、こう話しているのだと思えばいい。伝わってくれるかどうかは、君に委ねられるのだが」
「それは……別にいいですけれど。でも、考えるったって次元壁は」
「次元壁は目に見えない。それは君が言った通りだ。なら、どうやって視認するか。そんなものは簡単だ。そもそも人間には見る手段なんて無いのだから」
「……はい?」
「だから、言っただろう? 我々なら次元壁に風穴を開けることができる、と。それはその通りの意味だ。人間には見えないんだよ。知恵の実だけを食らった、神の出来損ないには」
「おい、キガクレノミコト。今の言葉は不味いのではないか?」
「どうした、欠番。貴様らしくない動揺だな。それとも、人間に情でも湧いたか?」
「人間と長らく過ごしていたのは貴様だろう、キガクレノミコト。……それはさておき、人間をそのような名前で呼ぶことは我々の中で禁則事項としていたはずだが」
「……それもそうだった。いやはや、別に人間を貶めるつもりなど無かった。それに関しては真実だ」
キガクレノミコトは欠番、水神から視線を外して、再び僕に視線を移す。
「人間は昔創造神によって作られた。創造神が作り出した箱庭に、長らく暮らしていたと言われている。そしてその箱庭には二つの木の実が生っていた。それが知恵の実と生命の実、名前くらいは聞いたことがあるだろう? 人間は創造神にその実を食べてはならないと教えられた。しかしながら、悪戯好きな蛇が、食べろとそそのかした。……後は解るだろう。人間は知恵の実を食べ、善悪を覚えた。そして知恵の実を食べたことを知った創造神は人間と蛇を追放した。レイヤーも違う、未完成の世界へと」
「……それは、聞いたことがあります」
確か僕が元々いた世界で聞いた神話の一つだったと思う。図書館で読んだ書物にそんなことが書かれていた。あの時はあまり気に留めなかったけれど。
キガクレノミコトは深い溜息を吐いて、さらに話を続けた。
「話を続けようか。人間は二つの木の実のうち、知恵の実しか食べていない。だから創造神が分けたレイヤーを見比べることが出来ない。自分達の住むレイヤーしか見通すことが出来ないからだ。だが、我々は知恵の実も生命の実も食している。否、正確に言えば、どちらの木の実もこの身に注入された……とでも言えばいいか。いずれにせよ、二つの実を体内に取り込んでいるということは、それが即ち箱庭を視認出来る条件になる。箱庭……つまり創造神の居るレイヤーということだな。流石に入ることは出来ない。権限がそこまで譲渡されていないようだからな。だが、壁が視認できるということは……物理的ダメージを与えることも可能、ということだ」
キガクレノミコトが言っていることを要約すれば、人間は二つの木の実のうち生命の実をその身に取り込んでいないから壁を視認出来ないが、キガクレノミコトならばそのもう一方も取り込んでいるから壁を確認出来る、ということだった。
しかしながら、そう言われたところで、僕達人間には何も出来ないという結論に繋がるのは当然だろう。
それを知っているからだろう。キガクレノミコトはさらに僕に話しかける。
「……だから、簡単に言ってしまおう。このままではこの世界はどうなってしまうかははっきりとしない。それは『使徒』である我々も危惧している事案なのだ。だからこそ、我々はこの世界を次の世代に託すべく考えている。……それが紛れもない、君たちだ」
「人間に、この世界を託そう……と?」
僕の言葉にゆっくりと頷いたキガクレノミコト。
キガクレノミコトは頷いた後、円卓に座る七名の人間(?)――いや、使徒に掌を向ける。
「私たちは元の世界から新しい世界への転換期を見守り続けてきた。しかし、それももう終わり。あとはこの世界を次の世代に橋渡ししてしまえばいいだけのことだ。監視役はその役目を解き、次の世代には干渉しない。我々はそういう存在である」
「そういう存在……」
「しかしながら、我々はこの世界から離れたがっているかと言われるとそれは間違いだということも、君には理解してもらいたい」
言ったのは欠番だった。
「世界がどうなるのか、あなたたちは知っているということですか?」
「知っているといえば嘘になるが、知らないといえばまた嘘になるだろう」
「?」
「とどのつまり、この世界はどうなるかは解っていない。大きな流れについては、漸く我々にも理解できるほどの尺度にまで落とし込まれたものの、どうあるべきか、どうしていくべきかまでは解っていない。残念なことではあるが、それが世界だ」
「何を言っているのか……さっぱり解りませんよ!」
「解らないだろうな。だが、解らなくていい。でも、これだけは解ってもらいたい。そうでないと、君の世界も、我々の世界も崩壊して、誰も救えない未来になってしまうことだろう」
キガクレノミコトはそうはっきりと言葉を言い切って、目の前に置かれていた湯呑を手に取る。
そしてそのまま口へと傾けて、一口入っていた液体を啜った。何が入っているかは見ていなかったけれど、お茶か何かの類だろう。
キガクレノミコトは水分補給を終えると、再び僕のほうを見る。
「君はこの世界の人間だ。この世界に存在していい人間だ。そして私たちもこの世界に存在していいのかもしれない。しかしながら、長くこの世界に存在し続けていると、それはそれで不都合が発生する。このままではやがて世界は『歪み』が発生し、やがてリセットしないと世界が続いていけなくなる。それは、古い歴史でも幾度となく行われていたプロセスだ」
幾度となく行われていたプロセス。確かに歴史上でもノアの方舟を一例として様々な『リセット』が起きている。思えばそれは世界の歪みを一時修正するための最終プログラムなのかもしれない。まあ、細かいことは知らないから、ある程度自分で事実を補完している部分があるのだけれど。
世界の仕組みは詳細まで知ることは無い。それは僕がただの人間だから仕方がないといえば仕方がない。
そして目の前に居るキガクレノミコトを筆頭にした『使徒』は世界の仕組みを、少なくとも僕よりは知っている存在だ。
だったら少なくともキガクレノミコトの言葉に従うべきなのだろうか。
その発言が正しいことなのか、間違っていることなのか、それは僕には判断のしようがないのだから。
「……話を進めようか。そうでないと、これからの物語が進まなくなってしまうからな」
深い溜息を吐いたのち、キガクレノミコトは言葉を紡ぎ始めた。
「これから、この世界に大きな戦争が始まる」