第二十四話(9)

 

僕は町はずれの茶屋に案内されていた。修行が終わっていつも通り帰ろうと思ったのだけれど少年――水神がどうしても見せておきたいものがあると言ったからには仕方ない。とにかく従っておいたほうが得策だ。ここで強引に断っておいて確執を生むのも今後面倒なことになりかねないし。

水神の先導で茶屋に入ると、茶屋のカウンターに居た女性が目を丸くして驚いたような様子で声をかけてきた。

「あらまあ、あなたが人間を連れてくるなんてどういう風の吹き回しなのかしら?」

「御託はいい。いいから、地下への入り口を開けてくれ」

「地下の?」

こくり、と水神は頷く。

それを見た女性は水神と僕の表情を交互に眺めながら、やがて諦めたのか溜息を吐いてカウンターの横にあるスイッチを押した。

同時に本棚の一つが後ろへずれていく。

そして迷いなく水神はその本棚がずれていったところへと向かっていく。

「何をしている。いいから、急いでこちらへ来い」

水神の指示に従って、僕はそのまま一緒の立ち位置につく。

そして上からシャッターが閉まり、ゆっくりとその床自体が下へと降りていく。

「……あの、水神……さん?」

「どうした」

「いったい、今からどちらへ向かうのでしょう?」

僕は一番気になっていた疑問を水神へぶつけてみた。実際のところ、もっと質問したいことはあったけれど、それよりも最初に納得させておきたいことは納得させておいたほうがいいだろうと思って、まずはその質問にしてみた。あとは、あまり口数が少なそうだし、質問責めにして機嫌を損なわれてしまっても困ると思ったからだ。

それを聞いた水神は呆れたような表情をして、僕の顔を見上げた。

「この国の根幹を見せてやる」

水神がそう言ったと同時に、エレベータはどこかに到着し、閉じていた扉は開かれた。

水神は何も言うことなく外へ出て真っ直ぐとした通路を歩き始める。

僕はそれに対して何も言うことは出来ず、ただその行動に従うことしか出来なかった。

通路の向こうには古い木の扉があった。観音開きになっているその扉は、水神が手を伸ばすと一人でに開き始める。

「……ようこそ、風間修一くん」

水神は僕にそう語り掛けて、ゆっくりと歩き始めた。目的地は誰が言わずとも、はっきりとしていた。目の前に広がる――会議場とも見える場所だった。

僕が扉をくぐると、ゆっくりと扉は閉じていく。まるでもう誰も入れないといった強い意志を示したようにも見えた。

ぐるりと、先ずはあたりを見渡してみることにした。会議場と思われるこの部屋には、会議場然とした巨大なテーブルが部屋の半分を占めており、それを取り囲むように椅子がずらりと並べられていた。その椅子の間隔はすべて等間隔となっているように見え、このレイアウトを考えた人はとても几帳面であるということを位置付けさせる。

「……彼が『勇者』かね?」

そう言ったのは、白髪の男性だ。オールバックにした髪形で、凛々しい表情に見えるけれど、その表情は百戦錬磨の戦闘を生き延びたようなそんな雰囲気を見せている。

「そうですよ、闇潜。まあ、彼はまだ勇者であるということは気付いていないと思いますが」

「……あの、勇者ってどういうことですか」

流石に、ガラムド暦二〇一五年における『勇者』という意味では無いよな?

「ああ、勇者とは……。というか、欠番。彼に勇者ということ、その意味を教えていないのか。教えていないにも関わらず、そのリスクを許容してもらう前にここに呼び寄せたのか?」

「別にそれくらい構わないだろう。我々にはもう時間が無い。勇者を、導く存在を、作らねばならないのだよ。それは闇潜、君も理解していることだと思うがね?」

「……それは、そうかもしれないが、彼は普通の一般人だろう!? それを、わざわざ我々の計画に組み込むというのは、些か……。それに、計画の説明もしていないと来た」

「おやあ? あの闇潜にも、そんな慈愛の心があったんですねえ。それは驚きですよ」

「木隠……、いや、この場合はキガクレノミコト、そう呼んだほうがいいかな?」

「よせ、昔の名前だ」

闇潜と木隠――キガクレノミコトと呼んだほうがいいのだろうか――はそんな会話を交わしつつ、徐々にその視線を僕に移していく。

「それで、彼がその勇者かい?」

まるでその真実には興味のないような、そんな発言をしたのはキガクレノミコトだった。

キガクレノミコトは話を続ける。

「……それに、闇潜。欠番も言っていた通り、この世界をどうするかそれは彼に任せるしかないということは、君も理解している話だろうが。我々にはどうしようもないことである、それは我々『使徒』が一堂となって賛成、或いは承認した内容だったと認識しているが?」

聞かされた闇潜はやれやれと溜息を吐いたのち、ゆっくりと目を閉じた。

「……それは私とて理解している。いや、理解させられている、と言ったほうがいいか……。いずれにせよ、我々のような『超越者』ですらあの運命を操作することが出来ないというのも、かなり面倒な話だ」

「それこそ、創造神の気紛れというものなのでしょう。所詮は我々も神では無かった。あの場所……あの箱庭に暮らす存在こそが、唯一無二の絶対的存在だったということです」

「唯一無二? 創造神?」

それってもしかしてガラムドのことを言っているのだろうか。

でも歴史上はまだガラムドは神にはなっていない、というか普通の少女だったはずだが……。

「創造神とは言われているが、我々もあまり見知っていないことなのだ。ただ、気紛れな、それでいて儚い月明かりのような容姿からこう呼ばれている」

キガクレノミコトは一息深呼吸をして、その名前を口にした。

「……ムーンリット、とな」

 

◇◇◇

 

箱庭と呼ばれる空間には、一人の少女が腰掛けていた。彼女が腰掛けているのは、大きなブロックだった。子供が遊ぶような積み木遊びのそれとはサイズが異なる。あれが子供向けならばこちらはオークなどの巨人族用、そんな風に考えることが出来るだろう。

それだけではなく、彼女の周りにはたくさんの遊び道具が雑然と並べられていた。その並べられた遊び道具は使い古されたものも中にはあるが、その殆どが新品そのものに思えた。

彼女はただ目の前にある、正確に言えば手に持っているルービックキューブに似た何かをじっと見つめていた。

そして、その傍らには彼女よりも若干大人びて見える青年がただ彼女の行動を見つめていた。

「……ムーンリット、お前はいつまで囚われているつもりだ?」

皮肉混じりなのか、或いは自嘲しているのか、青年は微笑みながら少女、ムーンリットへと語り掛ける。

しかし、それでもムーンリットは答えない。そんなことは青年も話をする前から解っていた。解っていたからこそ、語り掛けることで確認したかったのだ。ムーンリットの心が死んでいるということを。

心が死ぬという意味は文字通りの意味で、それをその青年が知っているのは当然のことだった。

何故ならそれを実行したのは……他ならぬ彼なのだから。

「ムーンリット。そのルービックキューブを触っても何も変わりませんよ。あなたは世界を管理し、統治する神なのですから。それくらい仕事はきちんとやっていただかないと。困ります」

しかし青年の言葉を聞いてもなお、まだムーンリットはルービックキューブを触っている。

青年にとって、今一番やってほしくない行為はそのルービックキューブに触れることだった。ルービックキューブに何か力が込められているわけではないが、しかしながら、いつ心を取り戻すか解ったものではない。そういう観点から、青年はムーンリットからルービックキューブを取り上げたかった。もっと言うならば、何もしてほしくなかった。

何もしてほしくなかったとはいえ、それを無理矢理奪い取ることもしたくなかった。そんなことをしてしまえば、彼女の死んでしまった心に『衝撃』を与えることと同義であり、それは彼の考えとは離反するものだったからだ。

とはいったところで、それではそれも実行しないまま何をするのかという話に帰結してしまうのだが、結局のところ、無力化しているムーンリットをただただ見守るしかない、というのが彼の結論だった。

(……まあ、ただのエゴなのかもしれないけれどね。僕は『彼』を消した。消したことでムーンリットは酷く傷付いた。そして自らの空間に閉じこもるようになった。普通に考えれば、ムーンリットがこうなってしまった要因を作ってしまったのは他ならない僕だし)

ならば、彼のしている行為は?

彼の欲求を満たすためでも、ムーンリットへの罪を償うためでも無く?

(いや、そのいずれもだ)

傲慢かもしれなかった。

怠慢かもしれなかった。

そうであったとしても、彼がムーンリットに寄り添う理由にはならなかった。

「ムーンリット。君がどう行動しようとも僕は知らないよ。けれど、君がそのままその殻に閉じこもっているのも僕にとっては気に食わない。まあ、君がどうしようったって構わないよ。……でも、僕は『君の心が死んでいる』なんて、認めないからね」

そう言って青年はその場を立ち去る。彼女と彼しか居ない孤独の空間には、それを埋め尽くすように、或いは隠すようにいろいろなものが敷き詰められていた。

彼が向かっているドールハウスのような家もまたその一つだった。

ドールハウスといってもそのサイズは大きく、彼の身体でも普通に入ることのできるサイズだった。

何か独特な雰囲気が漂うこの空間は、すべてムーンリットたる存在が脳内で組み立てあげた迷宮に過ぎなかった。

そして青年は、その迷宮からいつでも逃げ出すことだって出来たはずなのに、敢えてそれをしなかった。

何故か?

「……ムーンリット。君はいつまでそんなことをしているつもりだい?」

再度、彼女に問い掛ける。

帰ってこない質問の答え、それは青年にだって解っていたはずなのに。

「ムーンリット、君は」

壊れたテープのように、その部分だけを繰り返す。

けれども、ムーンリットは答えない。ムーンリットは頷かない。ムーンリットは靡かない。ムーンリットは笑わない。ムーンリットは傅かない。ムーンリットは応えない。

そんなことは、とうのとっくに解りきっていたはずだったのに。

でも青年はその場を離れることなどしない。何故ならそこにムーンリットが居るからだ。ムーンリットが居る限り、彼はそこを離れることはしない。

「ムーンリット……」

とうとう名前だけを呟く形となった彼は、その場に佇むことしか出来なかった。