第二十四話(5)

道場の中は寂れていた。まあ、外見の時点で大分寂れていたことは解っていたのだけれど、それにしても酷い。

「……何をじろじろと見ている。この道場が古いことについて、疑問を抱いているならばさっさと出ていけ。ここは昔からこういうところなのだ」

「そういう意味でじろじろ見ているつもりはないのだけれど……」

僕はきょろきょろと見つめつつも、哀歌が持ってきた木刀を握る。

とても使い込まれたように見える。もともと誰かが使っていたのだろうか?

「……まあ、いいわ。あなた、木刀を使った経験は?」

「そんな多くはないかな。真剣は使ったことがあるけれど」

とはいっても、どちらかといえば長剣に近いものだと思うので、日本刀とはまた違う種別になるのだろうけれど。

「ふうん、真剣を使ったことがあるの。あなた、意外と結構経験しているのね。……まあ、いいけれど」

余計なお世話だ。

そんなことを思っていたが――彼女は小さく溜息を吐いて、木刀を構えた。

「一応言っておくけれど、木刀と真剣は使い方がまったく違うから。重さも違う。持った感じが違う。そして何より、戦法が違う。木刀に慣れた人が真剣を使うとそのバランスが崩れてしまうし、逆もまた然り。……逆の場合は、ちょっと力が強いかもね」

「何故だ?」

「解りきった話でしょう」

肩を木刀でぽんおんと叩いて、彼女は言った。

「……真剣は基本的に、切り抜いてしまうからね」

それもそうか。確かに真剣を使い続けていると、そのまま切りかかってしまい力をかけることが多い。だから、それをいざ木刀でやると、当然その刀では切れることはないのだから、とても強い力が肉体に及ぶことになる。主にこのような模擬戦で使うような木刀になると、そのようなことにはしないほうがいいというのは得策と言っても過言ではないだろう。

さて。

「……さてと、そんな御託はそれくらいにしておきましょうか。あなた、真剣では慣れているかもしれないけれど、木刀は初めてなのでしょう? ならば、先手を取らせてあげる。これはハンデ、ってやつかな」

ハンデ。そう言われて彼女は構えた。しかしながらそれはあくまでも構えているだけで、ほんとうにこちらに攻撃をするつもりは無いらしい。防御の姿勢をとっていることは間違いないだろうが、その通り、相手が先手を打たないと言ったのだから、こちらとしては有難いことかもしれない。

しかし、裏を返せばそれは有難いことよりも舐められていると言ったほうがいいだろう。

現に彼女は僕を見て笑っていた。余裕の笑みだ。

それを見て感情を逆撫でされない人間はいないだろう。僕だってそうだった。

だから僕はそのまま、構えていた木刀で、構えもむちゃくちゃだったけれど、彼女に向かって切りかかっていった。

 

◇◇◇

 

「……遅い」

気付けば僕は、床に倒れこんでいた。

理由は単純明快。実際どうなったかは解っていないけれど、恐らくこの感じからして僕は負けたのだ。しかもボロボロに。そうでなければこのようにぶっ倒れてなどいないだろう。

「何で?」

「何故か、って。それは愚問だな」

そう言ったのは哀歌だった。

「おまえの剣には心がこもっていない。心のこもっていない攻撃など、避けるのは容易いことだ。……それも解らずに今までやってきたのか?」

心。

心がこもっていない、と彼女は言った。しかし、それはそれとして、その意味についてはいくらか吟味しなくてはならないのだろう。

確かに今まで僕はずっと、ただ戦うだけだった。相手が悪いから、倒さねばいけない存在だからと、ただただ剣を振り続けた。

今まではそれで何とかなった。それはメアリーにルーシーといった、仲間たちが支えてくれていたからだ。

では、今は?

「……真剣を持った経験があると聞いたから少しは期待したのだが、期待外れだったようだな。どうする? このまま女にやられたままで引き下がるつもりか?」

ゆっくりと上半身を起こし、僕は哀歌の言葉を聞いた。

哀歌の言葉は今の事実を淡々と告げていた。しかしながら、それは今の僕にはかなりダメージの大きいものだと言えるだろう。

言葉通りの意味ではない。もっと、それ以上。

つまり僕は今まで仲間たちに助けてもらって何とか乗り越えることが出来たけれど、今はその頼れる仲間が居ない。とどのつまり、僕だけでこれを乗り越えなくてはならない、ということだ。

そのためにも、基本的な僕の能力を上げなくてはならない。もちろん直ぐに上がるなんてことは思っていないけれど、出来る限り上げなければならないこともまた事実。

だったら、僕はどうすればいい?

その答えに至るまで、そう時間はかからなかった。

「ほう、まだ立つか。しかしながら、立ったところで何も変わらないぞ。私を倒すことが出来ないのならば、何も変わりはしない」

僕は立ち上がる。立ち上がった。立ち上がるしかなかった。

「……何も変わらないかもしれない。けれど、立ち上がるしかない。力をつけるしかないんだ」

「無策で挑むのは、無謀だ」

哀歌はばっさりと言い放った。

何というか、さっぱりとした性格だ。嫌いではない。でも好きかと言われると微妙だ。

「無策だ。それは言えているよ。無謀であることも、否定はしない。でもね……男には、立ち上がらないといけないときがあるんだ!」

「……ほう」

哀歌は髪をふぁさ、とかき上げる。

それは僕にとって自信を見せつけているような動作にしか見えなかった。

「それは立派な矜持だね。けれども、達成できなければそれは何の意味も為さない。……どういう意味か解るかな? 無駄とまでは言わないけれど、それに近い状態だということだよ」

哀歌の言葉は、僕を誘導しているようにも見えた。現に、それを聞いて揺さぶられる人間だって、中にはいたかも知れない。そして、その中には前の自分もいたことだろう。

しかし、今は違う。今はそんなことをしている場合ではない。何が何でも、僕は前を向かなくてはならない。この試練を、乗り越えなくてはならない!

「……まあ、それならいいですが。私は別に、何度だってあなたの前に立ってみせますよ。修行が目的でしたか、強くなりたいがためにここにやってきた、と。一体何の目的でここまで来たのかは知りませんが……、あなたがそうでありたいなら、私はただそれを打ちのめすのみ!」

哀歌はそう言うと、再び木刀を構える。

まったく面識のない相手なのに、こうも冷酷で居られるものなのだろうか。いや、或いは面識がないからこそ冷酷であれるのかもしれないが、それについてはどこまで正しいかは、目の前の哀歌にしか解らないことだ。

であるならば。

哀歌にも哀歌の矜持があって、僕にも僕の矜持がある。そして今回はその矜持のぶつかり合いだと言っていいだろう。

だとすれば、絶対に負けられない。

負けることなんて許されない。

「……まだ、立ち上がるというのか。諦めないというのか」

哀歌は溜息を一つ吐いて、

「まあ、もしそれで諦めていたのなら、私はとっくにあなたを外に出していたけれどね。才能なんてない、無能だということを思い知ったかと思ったわ。口だけの存在、とでも言えばいいかしら?」

「何で……! 何で、そこまで言われなきゃなんねえんだよ! あんたに、あんたに……何が解るって言うんだ」

「ならば、その剣を構えなさい」

哀歌は冷たく言い放った。

「ならば、あなたの意思を示しなさい。少なくとも、今のあなたでは私は何もしようとは思いません。いや、正確に言えば何もしたくありません。……お解りですか? つまり、今のあなたには二つの選択肢が提示されているということです。意思を示すか、そのまま引き下がるか。どちらかにしなさい。ただし、グズグズせずにさっさと決めること」

「そんなこと言われても……」

俺はふとそんなことを無意識に呟いていた。

「そんなこと、ですか」

そしてその言葉はあっさりと彼女にも聞こえていた。

不味い言葉を聞かれてしまったと思い、俺は慌てて訂正しようとした。

しかし、それよりも早く話を始めたのは少年だった。

「哀歌。彼にはやるべきことがあるのだろう。そして、しかしながら、とでもいうべきか。それについては、彼がその意味を理解していない。ほんとうの意味を、今だ理解していないということだ。理解していないことを、無理に理解させようとすることは難しいことだ。それは哀歌、君だって理解しているのではないかな?」

「理解しているのでは……。では、彼に教えることなど何一つありません。有り得ません。自分の役割を理解せずに、ただ力をつけたい? それはただ邪な考えのもと動いているだけなのではないですか」

「確かにそうかもしれないよ。けれどね、いつかは解ってくれるはずだよ。彼は、今は目的を理解していないとしても……」

そして、少年はこちらを向いて笑みを浮かべた。

「そうだろう?」

「……、」

僕は直ぐに答えることが出来なかった。

だって、ガラムドに急に試練をしろと言われてしまい、そのまま受け入れてしまったとはいえ、実際その試練をどう乗り越えていけばいいかをあまり考え切れていないのが現実であった。

ただ、ガラムドからこの世界を救うにはその試練を受け入れるしかありませんと言われただけに過ぎなかった。もし死んでしまうことがあったら、私が時間を戻しましょう――そんなことを言っていたような記憶があるが、ほんとうに戻してくれるのだろうか?

「なあ、風間修一といったか」

少年の声を聴いて、僕は我に返った。

気付けば少年は僕の目の前に立っていて、僕の顔を見下ろすような感じだった。

僕はそのまま顔を上げて、ゆっくりと頷く。

「お前が何をしたいか、それは別に聞くまでもないよ。だが、やるべき時はやる。それが一番だ。たとえやりたくないことであったとしても、お前がそれをやれと言われたらやり切らねばならない。それは何らかの意思が働いていたとしても、関係ない。そうだろう?」

「……それは……」

僕は、少年の言葉に何も答えることが出来ない。

何せ的確なツッコミだったからだ――と言っても、そこで挫けるわけにもいかなかった。ガラムドの言う通りなら、試練を受けないと元の世界に帰還することが出来ない。あの世界に帰ることが出来ないということは、もともと僕が暮らしていた『あの』世界へも帰ることが出来ないということになる。

それだけは嫌だった。

「……さあ、どうするつもりだ?」

少年は僕の考えを見透かしているのだろうか。不敵な笑みを浮かべて、こちらを見つめてきた。

僕はそれに従うのは、正直嫌だった。相手のレールに載せられることだけがどうしてもいやだった。

だが、今はそれに載るしかない――そう思って僕はそれにゆっくりと頷いた。

「やるよ。僕は、やらないといけない。ここでへこたれるわけには……いかない」

そして、僕はもう一度立ち上がった。

もう一度、試練に立ち向かおうと決意した。