第二十四話(3)

「使徒……」

僕は木隠から言われたその単語を反芻する。別に今まで使徒のことを知らなかったわけではない。しかしながらそれはあくまでも『風間修一』の記憶や知識を流用しているだけに過ぎず、寧ろ僕自身としては何も知らなかった。

使徒。

もともと『大神道会』と言われる宗教団体の崇敬対象であった彼らは、滅多に外に姿を出すことは無い。

そんな彼らが初めて直接手を差し伸べたのが、僕たち『旧時代からの旅人』だった。

なぜそう名付けられているのかと言えば、それは名が体をなしている。もともと僕たちはこの世界では無い別の世界から集団転送されたのだと考えられているからだ。

風間修一の記憶を掘り起こしてみると、彼がこの世界にやってきたのは約二年前のことだったという。家族総出で謎の機械(機械がどのようなメカニズムで動き、どういう効果を発揮するかまでは明らかとなっていない。簡単に言ってしまえば、『その機械に身体を埋めれば必ずや救われるだろう』と教え込まれたのだということしか解らなかった)に入っていたところをこの世界の人間が扉を開放したことでやってきたということだった。

この記憶だけを判断材料にすれば、目覚めた時間とこの世界に飛ばされた時間はイコールではない可能性だって充分に考えられる、ということになる。

そして僕たち『旧時代からの旅人』をどうするか人々は手を拱いていたようだったが――そこにやってきた救世主こそが使徒であった木隠だった。

「……話を戻させてもらうけれど、おぬしはいずれにせよそれを断ることなど出来ぬ。なぜなら、おぬし以外は誰も引き受けることは無いからな」

「それも、神のお告げとやらですか?」

「さて、どうかな」

冗談を言ったつもりだったが、流されてしまった。

木隠は湯呑を持ち、傾けつつも僕に視線を移した。

話したい内容は――どうせ決まっている。

「さあ、どうするかね。風間修一。おぬしがリーダーにならない、という選択肢も確かに存在するだろう。それはおぬしが断固拒否することだ。しかしながら……さっき私が言った通り、誰も出来ない。誰も引き受けることは無い。何故ならあまりにも責任重大過ぎるからだ。……当然だろうな、指示を間違えてしまえば最悪この世界の人間が根こそぎ死にかねない」

「……それならば、実質選択肢はないということだろ」

「そうとも言うな」

木隠はニヤリと笑みを浮かべる。その笑みは妖艶な笑みだったが、実際には何か含みを持たせたような――或いは何か考えているのではないか、そう思わせるような笑みだった。

選択肢はない――か。

だとすれば、駄々をこねることなくさっさと答えてしまったほうがいいだろう。

僕はふとガラムドが言っていたことを思い出す。

 

――試練を達成するためには、『偉大なる戦い』を終了まで導くこと。

 

上等だ。

ガラムドがそういうなら――こっちだってその考えに大いに乗っかってやる。物語がどう進行しようと構わない。

まずは手探りで、この世界を解き明かしていく必要がある。あまりにも知識が足りない。その現状をどうにかいい方向にもっていくためには、それしか手段が無かった。

「……それで? どうしますか?」

木隠の言葉を聞いて、我に返る。

木隠は僕の顔を見て首を傾げていた。どうやら心配してくれているようだった。……それが良心によるものか自分の計画で僕が必要としているから心配しているのかどうかは定かでは無いが。

そして、僕はゆっくりとそれに頷く。

それしか今――何も残されていないのだから。

 

◇◇◇

 

「おかえりなさい。……木隠さんは何を言っていたのかしら?」

家に帰ったら玄関で待ち構えていた秋穗が僕に質問してきた。

そういえば秋穗が出発する前に「何があったのか聞かせてくださいな」とか言っていたか。すっかり忘れていた。これで……うーん、何と伝えればいいだろうか。実際のところ、まんまのことを話してしまうとなんて反応されるか想像できなかったからだ。

仕方ない。取り敢えず反応が怖いけど、ここは正直に言ったほうがいいだろう。嘘を吐いたところでどうせばれてしまうのは目に見えているのだし、ここで何かあったほうがいい。悪いことは後回しにしないほうがベストだ。

「実は……、」

そう切り出して、僕は木隠から命じられた任務について話し始めた。

 

 

「素晴らしいことじゃない。一瞬隠すような表情を見せたから、いったい何があったのかと思ったわよ」

秋穗はすべて話を聞き終えたところで、そう言った。

僕はそう言われるとは思わなかったから、目を丸くしていた。

そして、秋穗は僕のその反応を見て、首を傾げる。たぶん彼女もまたどうしてそんな反応をしているのか、という思いを抱いていることだろう。

「あら? どうしたの、そんな変な表情をして」

「いや。……まさかそんな反応をされるとは思わなかったからさ。もしかしたら、君に勝手に判断したから怒られるかな、とか……」

「私はそんな短気な性格じゃないわよ」

そう言って秋穗は踵を返す。

それを見て、僕は家の中へと入っていった。

そのあとは特に何も無かった。

家に帰って仕事をすることは無いし、家でのんびりと過ごすだけ。

平和な日常は、争い事が起きないから大好きだ。あの世界は大きな争いは無かったが、正義を突き詰めるためにはどうしても排除せねばならない悪が出てきてしまっていたから、どうしても排除する必要があった。

しかし、この時間軸ではそれは有り得ない。そんなことをするような、そんなターゲットになり得る悪人は居ないということだ。

しかしながら、そんなことが問題となっているわけではない。

問題はもっと根底にあることだろう。

この世界を救うために――僕はやってきたと言われている。

しかし今は別の事件を解決へと導けとガラムドに言われた。

ならば――『勇者』とはいったいどのような存在なのか?

僕はそれが未だに解らなかった。

僕がこの世界にやってきた理由は、この世界を救うためだということを考えていた。

しかしそれはあくまでもこの世界に僕を召喚した誰かに問いかけたわけではない。

問いかけたところで、解答があるとも思っていない。

そもそも答えがあるかどうかも解ったものではない。

だから僕は、今までずっと誰にもこの質問を投げることはできなかった。

「僕はいったい――なぜ生きているんだ?」

その質問に、堪えられる人間なんて――どこにも居やしなかった。

 

◇◇◇

 

ガラムドはその様子をテレビのようなモニターを通して眺めていた。

彼女が居るのは、かつてフルと会話をしていた闇の空間ではなく、黒を基調とした一つの部屋だった。

ソファに腰掛け、ティーカップを持ちながら、彼女はただモニターを見つめている。

「……ガラムド様、いかがされましたか?」

そこにやってきたのは、いかにも異形だった。

黒く細長い腕をうねうねと揺らしているその存在には、顔が無かった。もっと言えば、手も足も無かった。身体の全体がそのコードのような細長い何かで出来ていた。頭は電球のような丸い球体で、白のつばが広い帽子を被っていた。身体全体が黒になっているからか、頭部の白が妙に際立っている。

いったいどこに口があるのか解らないが、それでもそれははっきりと話している。

ガラムドが視線をそちらに向けると、その何者かは腕にティーポッドを持っていることに気付いた。

「ん、どうした。『ジャバウォック』……もしかして、ティーカップの中身が気になったのかな?」

その言葉を聞いてコクリと頷くジャバウォック。

ジャバウォックはさらに話を続ける。

「ええ。そのティーカップの中身は、もしかしたらもう空ではないか、と思った次第です。実際のところ、かなり遊ばれている様子に思えますので」

「……まあ、その通りよ。よく解ったわね、ジャバウォック。実際は、このタイミングをあまり見逃したくなかった……ということもあるけれど」

「予言の、勇者ですか?」

「ええ。彼には頑張っていただかないとなりません。そうでないとこの世界がうまく回らない。本来であれば神である私がもっと介入出来ればいいのですが……それはルールの問題ですから、叶いませんね。私みたいに辺境の世界の神ごときが何とか出来るような内容ではありませんから」

「……私ももう少し、関われるような立場であればいいのですが」

顔を少し俯かせるジャバウォック。しかしながらその顔は存在しないから、ジャバウォックがどのような表情を示しているかどうかは、ガラムドですら解らなかった。

紅茶をティーカップに注いでもらい、彼女は香りを嗅ぐ。

「……うん、いい香りですね。いつもの香りです」

ガラムドはそう言ってふうふうと息をかける。熱い紅茶を冷ますためだ。出来ることならばそんなことはせずに飲んでしまいたい彼女だったが、こればっかりは仕方ないことだった。

そしてガラムドはその紅茶を一口飲み、机に置く。

用事を済ませたはずのジャバウォックは未だ彼女の隣に立っていた。

それを見て違和感を覚えたガラムドは首を傾げる。

「……どうしたのですか、ジャバウォック?」

ジャバウォックは、その問いに答えない。

ただ俯いているだけだ。

そしてジャバウォックはモニターを遮るように、彼女の前に立った。

「ちょっと、ジャバウォック。モニターが見えないわよ。それとも、何か私に用事が残っているのかしら?」

なおも、ジャバウォックは答えない。

さて、再掲しよう。

ジャバウォックの表情は誰にも読み解くことはできない。――それは例え、管理者たるガラムドであったとしても。

刹那、ジャバウォックの腕がガラムドの身体を貫いた。

「が……は?」

白いワンピースが真っ赤に染まっていく。

それを見たジャバウォックは、なおも無表情を――正確に言えばどの表情をしているかどうか解らないだけだ――貫いている。

ガラムドは動こうと、抵抗しようともがく。

しかしそれは傷を広げるだけに過ぎず、彼女の身体から血が噴き出すだけだった。

ジャバウォックはゆっくりと腕を高く上げていく。腕に貫かれたガラムドとともに。

ガラムドはもう身動きをとることが出来ず、ひゅーひゅーと息を上げるばかりだった。

「あー、テステス、マイクのテスト中ー。ところで今は何時かな? というか何時という基準についても、明確な基準が無いと話が出来ないな。えーと、グレゴリオ暦? ガラムド暦? それとも西暦? 和暦?」

「面倒だから黙っていてもらえないかな、ハートの女王。あんまりしつこいと腕一つ潰すぞ?」

「きゃー♡」

「おい聞いてんのかクソ女」

二つの存在が突如として出現した。

二つはガラムドを見上げるように、そこに佇んでいた。

かたや白く細長い腕を電球のような球体からはやしてふよふよと浮かんでいる存在。腕に見えるそれはどちらかといえば触手に近いものを感じる。そしてその触手のうち一本にはマイクのようなものが握られていた。

かたやフードつきパーカーを被った少年のような存在。正確に言えば、少年の背中には彼の身体を覆う程巨大な翼が生えている。そしてその翼に浸食されてしまっているのか、右目は潰されたようになっていて、開くことは無い。

「ハートの女王に……ハンプティ・ダンプティ……! まさかあなたたちまでここに居るとは……! 何が目的かしら……?」

「そんなこと、言わずとて解るのではないかしら、ガラムド様?」

ハートの女王は首を傾げる。しかしながらその表情はジャバウォック同様確認することはできない。

対してハンプティ・ダンプティと呼ばれた少年はどこからか取り出したペロペロキャンディを舐めていた。

「……何をしに来た、と言っている……!」

「ですから、簡単ですよ。……あなたが考えているプランとやらに私たちはついていけなくなりました。だって、つまらないじゃないですか。あなたの考えているそのプランが」

ガラムドは目を丸くしていた。

まさか自分の部下と呼べる立ち位置に居る『シリーズ』からそのような発言を聞くことが出来るとは思っていなかったからだ。

ハートの女王の話は続く。

「だから、あなたを殺すことにしました。これはシリーズ全体で決めたことなので。誰も彼も、あなたに忠誠心のひとかけらもございません。どうですか? 絶望のひとつやふたつしても構いませんよ?」

「そうそう。そうしないと、せっかくこんなことをした意味が無くなっちゃうし」

「……もともと考えていた、ということね」

ガラムドは口から血を吐きつつ、そう告げた。

「そういうこと。……ねえ、ジャバウォック。それ、床に落としていいわよ」

かつての自分の上司をそれ呼ばわりしたハートの女王は、ジャバウォックにそう指示した。

ジャバウォックは少しゆっくりとしながらも、ガラムドを丁寧に床に置いた。

ひゅーひゅーと息を吐き出しながら、ガラムドはハートの女王を睨みつける。

「おーおー、その光景見たかったのよ。ガラムドが私に跪く姿! まさかこんなにも早く見ることが出来るなんてね、思いもしなかったわよ。……どうかしら、かつての部下に足蹴にされる気分は?」

ガラムドの頭を踏みつけながら、ハートの女王は言った。

その声色はどこか高揚しているようにも聞こえる。

そして、まだハンプティ・ダンプティはペロペロキャンディを舐めていた。

ガラムドは押さえつけられていた頭をどうにか動かそうとした。しかし、無駄だった。シリーズの力はそれほど簡単に何とかなるものでは無かった。

「……あなたたち、後悔するわよ。この世界から神が消失する結果、何が起きるのか……!」

「そんなことよりも、もっと単純にすればいいんですよ。私たちシリーズの本当の存在意義、ご存知でしたか?」

「存在意義……?」

「世界の方向性が歪んでしまったときの、修正プログラム。……それが我々の存在意義でした。まあ、あなたのような生ぬるい存在が神になってしまってからそれも無くなってしまいましたがね。冥土の土産になりましたか? もっとも、一度神になった人間は天国にも地獄にもいけませんが。永遠に闇の中を彷徨うだけ。……面倒ですよね、もともと人間だった存在が神になると。力は強くなるかもしれませんが、本体の強度は人間と同じですから。ほんとうに残念ですね。さあ、そして、死ね」

そして。

ハートの女王が持つ無数の触手が、文字通りガラムドを串刺しにした。