第十六話前編

 

レガドール。

南国=温暖な気候、という安易な方程式はどうやらこの世界にも成り立つものらしい。

ちなみに今は長袖の服を身に着けているため、とても暑い。とはいえ、これを脱いでしまうと肌着しか残らないため、そう簡単に脱ぐことは出来ない。男だけなら何とかなるかもしれないけれど。

レガドールの港町、ラムガスには港町らしい喧騒に包まれていた。気温は暑いため、どちらかというと半袖の人間が多いわけだけれど。

「……それにしても」

港町はどの国に行っても活性だ。活気があふれている、という意味になるけれど、それにしてもほんとうに人が多い。美味しい海産物やそれらを焼いた良い香りが町の中を満たしているが、そんなことよりも探さないといけないものがある。

「それにしても……、リュージュが言ったレガドールへ来い、とはどういう意味があったんだ?」

ルーシーが少し声のトーンを落としつつ、僕に言った。

「……どうだろうね。もしかしたらどこかで監視をしているかもしれない。僕たちを貶める、そのタイミングを窺っている可能性も……」

あくまでも、想定だけれど。少しでもそう考えて緊張の糸を張り詰めておくことは悪いことではない。

だからと言って、あまり周囲をきょろきょろと見渡しているようでは、現地の人々に疑われかねない。

「おっ、そこの姉ちゃん! ちょっとどうだい、どうなんだい」

「……私のこと?」

商人の言葉を聞いて、メアリーが立ち止まる。

商人は云々と頷いたのち、

「ラムガスは海産物も、そりゃあ有名だよ。だって、港町だからな。しかしながら、そのほかにもまだまだあるよ。いろいろとね。それがこれ!」

そう言って看板を指さす商人。

そこにはこう書かれていた。

「塩……マッサージ?」

「そう。塩マッサージ」

聞いたことはある。塩を擦り込んでするマッサージらしい。それだけ聞けば、名前の通りではあるけれど、効能は定かではない。一体全体、それがどういう意味をするのか解らないし。

「……もしかして、俺がやると思っているかい? だとすればそいつは間違いだ。きちんと若い姉ちゃんがやってくれるよ。安心してくれ、ほら」

ちょうど同じタイミングで、奥にある家の入口にかけられた暖簾が手で上にあげられ、中にいる女性が柔和な笑みを浮かべた。

それならば未だいいのかな。というか、セクハラってやっぱりこの世界の常識にもあるのだろうか?

「うーん、フル。ちょっと気になるし、やってきてもいい?」

メアリーもメアリーでどうやらやる気になっているようだ。別にそれはそれで構わないけれど、危機感は無いのだろうか。

リュージュがレガドールへ来い、といった。それは即ち、彼女の監視下に置かれている可能性があるということだ。

けれども、それが一般市民まで浸透しているとは考えにくい。それに、何かあればすぐ対処出来るだろう。そうおもって、僕はそれを了承した。

奥の家に入っていくメアリー。商人にお金を支払う。

「なあ。フル。ほんとうに大丈夫か?」

言ったのはレイナだった。ほんとうはレイナにも受けてほしかったが、「そんな気分じゃない」と一刀両断されてしまったから、無理をさせるわけにもいかない。

「別に大丈夫だと思うよ。確かにリュージュの監視下に置かれている可能性は否めない。けれど、そうだとして、ずっとビクビクしているわけにもいかない。それこそ敵の思う壺だ。だからこそ、今回のように普通に過ごすことが――」

「きゃあああああ!」

僕の言葉に割り込むようにメアリーの悲鳴が聞こえたのは、ちょうどその時だった。

「嘘だろ!」

「ほら、言わんこっちゃない!」

ルーシーとレイナが大急ぎで家の中へと入りこむ。

しかしながら、既にその姿はなかった。

「ルーシー、レイナ! 上だ!」

しかし、僕は既にその敵の姿を捉えていた。

家の屋上に立つ、黒い服装の人間。――いや、正確に言えばこげ茶色、といったほうがいいかもしれない。口元まで隠すようになっているその装束は忍びのようなイメージすら与えている。

その人間は、メアリーを抱え込んでいた。メアリーは何の反応も見られない。口元は布で縛られていて、気を失っているらしい。

「メアリーをどうするつもりだ!」

僕の言葉に、その人間は答えない。

ただ、僕たちをじっと一瞥すると、屋上から降りて走っていった。

「おい、どういうことだよ、これは!!」

レイナは店主と思われる商人の襟を掴んで、抗議している。

しかしながら、今はそんな時間はない。

「レイナ! 今はそんなことをしている暇なんてない! メアリーを……メアリーを、助けないと!」

その言葉を聞いてレイナは舌打ちをし、商人から手を放した。

そして、メアリーを浚った謎の人間の後を追うのだった。

「早い……早すぎる……」

見失うことはないにせよ、その人間の姿が徐々に遠ざかっていく。

相手はメアリーを抱えているにも関わらず、そのスピードが落ちることはない。

何というか、魔力で増強しているのではないだろうか――なんてそんなことを思ったけれど、確かそのような魔術は存在しないはずだ。聞いたこともない。ということはやはり、もともと持っているフィジカルのみでメアリーを抱えながらこのスピードを出している、ということになる。何というか、恐ろしい。

体力に自信が無いとはいえ、それなりに学校のカリキュラムを乗り越えてきた。走って何とかしがみ付いている状態にはなっているが――それでも限界はある。

「ルーシー、大丈夫か!」

僕は必死に声を振り絞って、何とか隣に走っているルーシーに問いかける。

表情は見えないが、恐らくルーシーも辛いのだろう。

僕はそう思いながら、ルーシーの答えを待った。

ルーシーはワンテンポ遅れる形で、

「……そう言うってことは、フルも限界ってこと!?」

……そう言うということはルーシーも徐々に辛くなってきている、ということだ。限界に近付いている。その通りだ。相手は何の力も使っていないように見えるが、まだ余力が見える。はっきり言って、分が悪い。

「フル、ルーシー!」

レイナの声が、背後から聞こえてくる。

振り返ると、僕たち目がけて竜馬車がこちらに向かってきていた。

どうやら船からおろしていた竜馬車を、シュルツさんが大急ぎで動かしているようだった。

「乗れ!」

走っている竜馬車になんとか乗り込んだ僕たちは、もう汗だくとなっていた。

「はい、タオル。気休め程度にしかならないけれど、汗を拭いてその気持ち悪さを取ることくらいは出来るでしょ?」

「……ああ、そうだね。ありがとう、レイナ」

僕はレイナからタオルを受け取ると、汗を拭った。タオルは水で冷やしていたようで、とても気持ちよかった。

「……それにしても、アイツは何者なんだ」

シュルツさんの言葉を聞いて、僕は頷く。

「解らない。けれど、魔術を使って体力を増強するなんて聞いたことはないし……」

「フル。つまり君の言いたいことはあれか。あの人並み外れた驚異的なスピードは、あくまでも人の力のみで生み出された……ということになるのか?」

こくり。僕は頷く。

シュルツさんはそれを聞いて、それでもなお信じられないようだった。

「信じられない……。あんな力を持つ人間が居るなんて……。しかも、魔術を行使していないとするならば、それなりの力をどうやって手に入れた? くそっ、まったくもって理解できないぞ……!」

竜馬車は市場を抜け、海岸線を走っていく。

そしてメアリーを抱えたまま走っていた人間は海岸のある場所で立ち止まった。

メアリーを地面に置き、僕たちを待ち構えているようだった。

竜馬車から降り、その人間と対面する。

「メアリーを返せ!」

僕は、その人間に向かって言った。

「そんなこと言われずとも……返しますよ」

パチリ、と指を弾く。するとメアリーは目を覚まし、勢いよく起き上がった。

「あれ、私、どうしてここに……?」

「メアリー!」

僕はメアリーに向かい、彼女の身体を抱き締める。そして、安全を確認すると、大急ぎで元の場所へ戻る。

黒装束はゆっくりと近づき、そして、腰を折った。

「?」

とどのつまり――お辞儀をした。

「無礼をお許しください。このようなことをしなければ、人目のつかない場所へ移動が出来ないと考えたためです」

頭につけられたローブを外す。黒装束の素顔が明らかとなった。

黒装束は女性だった。赤いポニーテール、力強くはっきりとした目は真っ直ぐ僕たちのほうを捉えていた。

「私の名前はキキョウといいます。残念ながらこの名前は本名ではありません。代々続く我々の一族の中で、強いシノビが持つことを許される名前……その一つとなります」

ちょっと待て、いま、シノビって言ったか?

シノビ。シノビ、って……『忍び』の?

「シノビとは……そうですね。古来より、文献によれば旧時代と呼ばれていた頃から、この世界に暗躍していたといわれている一族のことを言います。昔は幾つか一族が居たのですが、今はキキョウとスミレの二つのみ。……まあ、それはどうでもいいのですが。とにかく、いま私たちの国では大変なことが起きているのです」

「大変なこと?」

「この国はリュージュによって監視されています。もちろん、この国にも王は居ます。ですから、その発言は少々おかしなものになるのかもしれませんが……。ですが、それは間違いではありません」

「リュージュによって監視されている。やはり……」

「知っていたのですか?」

キキョウは驚いたような表情を見せる。

僕は頷いて、キキョウにここにやってきた経緯を伝えた。

それを聞いてキキョウは頷く。

「成る程。リュージュがこの国に来い、と……。しかし、リュージュはこの国には居ません。リュージュはある計画のために、動いているといわれています。ですから、私は国王から命じられて、あなたたちにその事実をお伝えするために……」

そこまで言ったところで、キキョウは踵を返した。

目を細め、どこか一点を見つめる。

「……どこに居る。出てきなさい、たとえ姿を隠していようとも、その悪しき気配までは消しきれませんよ!」

その言葉を聞いたのかどうかは定かではない。

しかし、それより少し遅れたタイミングで、ぐにゃりと空間が歪んだ。

そしてそこから一人の少女が出てきた。

青いロングの髪、白いワンピース。

「あーあ、見つかっちゃった。もうちょっとうまく誤魔化せると思ったのだけれどね。シノビも案外侮れないなあ」

溜息を吐いて――まるで遊びに負けた子供のように――僕たちのほうを見つめる。

そこに立っていたのは、バルト・イルファの妹――ロマ・イルファだった。

「ロマ・イルファ……、貴様、どうしてここに!」

 

はじめにそれを口にしたのは、キキョウだった。

ロマ・イルファはそれを聞いてつまらなそうに溜息を吐くと、

 

「別に何でもないわよ。ただ、一応伝えておかないといけないのかな、と思っただけ」

「伝える?」

「そう。リュージュ様の言葉を、私は伝えに来た。リュージュ様は、もうこの国に居ないということ。そして、リュージュ様の計画は最終段階に突入した。あなたたちを足止めするために、私たち兄妹はここにいるのよ」

「兄妹……ということは、バルト・イルファも居るのか!」

「ええ、お兄様もね。だけれど、今はここには居ないわよ。お兄様はお兄様で別の活動をされているから。……ほら、ここからも見えるわよ、炎がよく見えるわね、高台になっているからかもしれないけれど」

それを聞いて、僕たちは踵を返した。

確かに、ロマ・イルファの言う通り高台になっているためか街を一望することが出来る。

そして、その街の向こう、港には一つの大きな炎が燃え上がっていた。

「まさか……あれは!!」

「そう簡単に私たちもここから出したくない、ということなのよね。まあ、リュージュ様の命令、ということもあるけれど。そういう最初から勝ち組なのが気に入らない、というか? そんな感じかしら。あななたたちに解る? 最初から何もかも与えられた人間には、きっと解らないでしょうねえ!!」

ロマ・イルファは何故だか知らないが、怒っていた。それがどういう理由によるものかは定かではない。

ただ、これだけは言える。

「あなたねえ……どういう理由でそこまでフルを恨んでいるのかは知らないけれど。もしかしたら、フルがほんとうに悪いことをしたかもしれない」

ずっと何も言わなかったメアリーが口を開いた。てっきりフォローをしてくれるのかと思ったら、ロマ・イルファの発言を擁護するようなものだった。ちょっと待ってくれ、メアリー。君はどっちの立場で話しているんだ?

そして、メアリーの話は続く。

「……けれど、それと今回のことは別。あれはきっと……私たちが乗ってきた船よね。話は聞いたわ。あれはリュージュが私たちにくれたもの。だから、あなたが壊してもリュージュは別に気にしないかもしれない。けれど、けれど、船を作った人は? あの火事を消化するために繰り出された人たちは? その人たちの苦労を、あなたは少しでも考えたことがあるのかしら?」

「……リュージュ様から面倒な性格、とは聞いていたけれどまさかこれ程までだったとは。流石に想定外ね」

ロマ・イルファはまたも溜息を吐く。

それにしても、なぜリュージュはそこまでメアリーの情報を知っているのだろうか。ずっと僕たちを監視していたから、で簡単に解決してしまうのかもしれないけれど、それでもどこか気になってしまう。

「まあ、いいわ。私たちは目的を達成した。あなたたちをこの国に足止めする、という目的を……ね。それさえ達成出来れば今はどうだっていい。とにかく、あなたたちを足止めさえすれば、リュージュ様の計画は無事達成出来るはずだから……」

そして、ロマ・イルファはその場から瞬間的に姿を消した。

 

◇◇◇

 

僕たちはラムガスの街へと戻ってきた。既に炎は消火されていて、そこには何も残っていなかった。桟橋も一部燃えて崩れ落ちてしまっていることも、その炎の勢いを感じさせる。

「それにしても、こんなひどい火事をいったい誰が何の目的でやりやがったんだ?」

市場を歩いていると、井戸に居た夫婦と思われる片割れがそんなことを言った。

対して、井戸の水を汲んでいる女性は、

「なんか聞いた話によると、赤い恰好の目立つ男が居たんだと。そいつがやったんじゃないか、って噂もあるよ。そんな目立つ人間、このラムガスには居ないからね」

「赤い恰好、ねえ……。炎の妖精か何かだったのかね?」

「馬鹿おっしゃい。妖精は元来私たち人間を助ける存在だろう? 私たちの生活に古くから根付いていて、私たちの生活を助けてくれるときもあれば、逆に私たちが助けるときもある。ま、持ちつ持たれつな関係じゃないか。私たちが妖精の怒りを買ったとは、到底思えないしねえ……」

「妖精の怒りを買った……とは言ったって、そんなこと、人間には解らないだろ? それこそ、どういう理由で怒りを買ったかなんて、人間には到底解りゃしないことばかりだと思うぜ。だって、人間と妖精じゃ頭の仕組みが全く違ってしまうわけだからな」

……どうやらその会話を聞いているようだと、僕たちの船を燃やしたのはバルト・イルファで間違いないようだった。

「それにしても罠なんて……。くそう、リュージュのやつ、絶対に許さないんだから! ぎったんぎったんにしてあげるわ!!」

ぎったんぎったんなんて今日日聞かないなあ、なんてことを思いながら、僕は考えていた。

僕たちは転移魔術を誰も使えない。近距離、という制約を考えないならばレイナが使えないことはないが、それでも地繋ぎの場所だけ。しかも知っている場所というかなり厳しい制約付きだ。

とどのつまり、僕たちがリュージュの本拠地へと向かうためには、いずれにせよ船を手に入れなければならない……ということになる。

「しかし、いずれにせよ……船が必要になってきます」

そう言ったのはキキョウだった。確かにその通りではあると思う。船が無い限り、僕たちはこれ以上先に進めない。別の大陸に繋がっている通路でもあるのならば、話はまた別になってくるとは思うけれど、そんな都合のいい話が出てくるわけがない。

キキョウは口元を隠していた布を外すと、それをポケットに仕舞う。

「……ある場所に、あなたたちをご案内しましょう」

「ある場所?」

唐突に話が動き出したので、僕はキキョウに訊ねる。

対して、キキョウはもうその話を承諾しているような雰囲気で話を進めていく。

「レガドールの最高権力者、国王の住む居城です。私は国王から命じられて、予言の勇者を城へとお連れするよう言われました。しかしながら、先程も言った通り、この国は深層までリュージュの監視が広がっています。それは国王でさえ例外ではありません。国王の直下に居る大臣も数名、リュージュの腹心が紛れ込んでいると言われています」

「そこまで解っているなら、どうして排除することが出来ないのですか?」

核心を突く質問をしたのは、メアリーだった。お前がそんな質問をすることは何となく予想は出来ていたけれど、とはいえ、今そこでそれを質問するか。

キキョウは俯き、悲しそうな表情を浮かべると、軈て小さく頷いた。

「簡単です。それをすることによって、国民が不信を抱くと解っているのです。リュージュはそれを狙っているのでしょう。監視を続けて、もしそれを裏切るようであるならば、国そのものを崩壊させようと……」

「リュージュ……。そこまでして、いったい何をするつもりなのでしょう……!」

「解りません。ですが、国王はこうも言っていました。予言の勇者を気にしているということは、予言の勇者を利用するか、或いは恐れているのではないか、と」

僕を利用するか、恐れている?

しかしリュージュはそのような素振りは――少なくとも後者については見せなかった。それはつまり、リュージュが僕を利用する可能性があるということ。それはどうやって? でも、もし利用しようとしているならば、僕をここで足止めする意味があるのだろうか。

キキョウは踵を返し、僕たちをどこかへ誘おうとする。

「……どこへ?」

「先程もお話ししたと思いますが、この国の城に向かいます。すでに許可は得ております。しかし遠いので、行くとするならばそちらの竜馬車を使うことになると思いますが……」

「それならば問題は無い。さっき船の中で随分休ませたばかりだからね。まあ、君を追いかけるために少し疲労は溜まっているかもしれないが、それでも何とかなるだろう」

シュルツさんは即答して、云々と頷いた。

「ならば、大丈夫でしょう。それでは、向かいましょう。そしてご案内しましょう。我々の住む城へ」

そう言って、キキョウは大きく頷いた。