第十二話(2)

 

「いやあ、何とかなるものだね。それにしても、ちょっとは緊張していたものだったけれど、フル、全然慌てているように見えなかったよ。むしろどっしりと構えていたよね」

終了後、街並みを歩いているとルーシーがそんなことを言ってきた。

別に僕としてはいつもと同じように話していたつもりだったのだけれど――いや、それは訂正しよう。ちょっとは緊張していた――どうやらルーシーにはそれがどっしりと構えていた、という風に見えていたらしい。まあ、内面性と外面性は必ずしも一致しないからそれは案外普通なことかもしれないけれど。

「確かに、かなり落ち着いているように見えたよ。やっぱりフルをメインに据えていてよかった」

そう言ったのはレイナだった。レイナはそれを提案した張本人だったわけだけれど――、いざ始まってしまうと、案外話すことが出来ないものだ。というよりもレイナが話すよりも先に僕が話してしまって話の流れを作ってしまったのが一因かもしれない。

さて。

そうと決まれば出発日までの時間つぶしだ。出発日は明後日と決まっているので二日ほど、どこかで時間を潰さないといけない。宿はとっているから宿に戻ってもいいのだけれど、もう少しここで情報収集してもいいような気がするが……。

「というかここまで来たらエノシアスタに行ってから情報収集したほうがいいんじゃないか? それともここで情報を少しでも仕入れておく? それはそれで構わないと思うけれど」

「うーん、そうなんだよな。ここで有益な情報が手に入ったとしても、一度請け負った仕事はやっぱり最後までやらないといけないのは当然の責務だ。だから出来ることなら情報はここで仕入れないほうがいいかな、とは思うけれど――」

「おい、てめえ! ぶつかっただろ!」

僕たちの話を遮るように、昼間の状態には似つかわしくない男の大声が聞こえた。

そちらを向くと、酒瓶を持ったいかにも酔っぱらっています、という感じの男が立っていた。

男から少し離れた位置には大きな銃を背負った女性が背を向けて立っている

「……、」

女性は答えない。

男はさらに話を続ける。

「おい、聞いているのかよ! お前、さっきぶつかっただろ、って言っているんだよ!」

男はゆっくりと近づいて、銃に触れた。

その時だった。

踵を返し、男の手を取り、そのままその手を地面に落とし込んだ。男のほうが図体が大きかったにも関わらず、男は地面にその身体をつける形になった。

男はなぜそんなことになってしまったのか解らず、呆気にとられていた。

「……汚い手で私の銃に触れるな」

「……メタモルフォーズを倒せば偉いのかよ、掃除屋、っていう職業はよお!」

男は言葉を投げつけるが、女性は表情を一つ変えることなく立ち上がると、そのままもともと歩いていた方向へ歩いていった。

「……なあ、今聞いたか?」

ルーシーは僕に語り掛ける。

ああ、聞いたよ。

気になるワードが、幾つか登場していた。

メタモルフォーズを倒す、掃除屋。

もしかしたら彼女ならばメタモルフォーズに関する情報を幾つか掴んでいるかもしれない。そう思って僕たちは彼女の後を追いかけた。

 

◇◇◇

 

路地に入ったところで、彼女は踵を返し――唐突に僕に銃口を向けた。

「……あんたたち、さっきから私のことをつけていたようだけれど、いったい何が目的? そういうプロにしてははっきり言って素人のような素振りだったし……」

「ちょっと待ってくれ。別にあんたを狙っているわけじゃない。まあ、つけていたことは事実だけど……。ちょっと聞きたい事があるんだ」

僕は必死に訂正した。

追いかけていたことは事実だけれど、先ずは彼女が僕たちについていいイメージを抱かせないといけない。正確に言えば敵意を消す、という感じかな。

「聞きたい事?」

警戒を解いてくれることはさすがにすぐにはしてくれなかったけれど、銃だけは僕の前から外してくれた。

しかしながらまだ目線は鋭い。ここはどうにかして警戒をもう少し解いてもらえるようにしないといけないのだけれど、そう簡単にうまくいくとは限らない。情報が手に入らない可能性もあるので、慎重に行動しなくてはいけない。

「……ああ。実は、メタモルフォーズに関する情報を知りたい」

「メタモルフォーズに関する情報……ねえ。そんなもの、聞いてどうするつもりだ? もしかしてお前たちも掃除屋か? 一端の掃除屋だったら同業者から何もなしで情報を得るなんてそんな暴挙簡単に出来ないと思うが」

「違う。そうではない。僕たちは掃除屋でも何でもないよ。けれど、情報は得たい。だから、出来れば情報を知っている人間を探していたのだけれど――」

「だから、言っているだろう?」

そう言って少女は僕に右手を差し出した。

その意味が解らなくて暫く彼女の右手を見つめていたのだが、

「まったく、何を意味しているのか言わないと解らないのか? あんまり言いたくないが、これだから何も知らない子供は……。見た感じ、それなりにいいところを出ているように見える。そうだろう? この世界でいい学校と言えば……、そうだな、ラドーム学院か。あそこの出ならば少なくとも常識くらいは知っているだろうが、しかしそれはあくまでも『表』の世界の常識。私たち掃除屋に代表されるような裏の世界の常識なんてまったく仕入れていないだろう? だから、そんな常識外……埒外なことが言える。それに私は腹を立てているのだよ。敢えて言おう、表の人間が必要以上に裏に干渉するな。これは警告だ。こう警告してくれる人間は居ないぞ」

「……じゃあ、解った。何をすれば情報を提供してくれる? まずはそこから始めようじゃないか」

「……そもそも、そこが問題だよね」

そう言って少女は僕の顔を指さす。

「対価を払わないとダメと言ったからと言って、対価さえ払えば問題ないというわけではない。私が知っているメタモルフォーズに関する情報は、長年の『掃除屋』としての経験から得たものが殆ど。それを教えるとは即ち私の掃除屋の経験そのものを伝えるということに等しいのよ。それの意味が理解できる?」

「……そうかもしれないけれど、こっちだって切羽詰まっているのよ」

そう言ったのはレイナだった。

レイナはどこか強い発言をすることが多い。というよりも発言がおのずと強くなってしまう、という感じだろうか。いずれにせよ、僕やルーシーのように強く言うことが出来ないタイミングでも言うことが出来るから、とてもそれについては有難いのだが。

しかして、こうもはっきり言われてしまうと当然相手の心情もどう行くか完全に二択になってしまう。

「……切羽詰まっている? どういうことよ」

首を傾げ、目を丸くする少女。

もしかしたら少しだけ話を聞いてくれるのではないか――僕はそんなことを思った。

そしてその『チャンス』を有効活用すべきだと思っていたのは、僕だけではなかった。

「私たちはメタモルフォーズを倒す必要がある。ね、そうでしょう? フル」

「あ、えーと、うん。そうだ」

唐突に会話の矛先を向けられてちょっと動揺してしまったが、ここでチャンスを逃がしてしまうとなかなか次のチャンスはやってこないだろう。

そう思うと、不思議と声は落ち着いてきた。

「僕たちはメタモルフォーズがどこからやってきたのか、それを探している。それが世界を破壊してしまう可能性があるから」

「まるで予言に示されていた勇者サマみたいな言い回しだな。……ほんとうに世界を救おうと考えているのか? あんたみたいな、学生風情が?」

「世界を救えるかどうかは解らない。けれど……メタモルフォーズはかつて世界の危機へと導いた存在だろう? ならば倒すのは当然だし、それがなぜ生まれてしまったのか突き止めなくちゃいけない。そのためにも……」

「ああ、いい。解った」

そこまで言ったところで少女は手を振った。

何か言っちゃまずいことを言ってしまったか――?

僕はそんなことを思ったが、少女は頷いて笑みを浮かべた。

「解った、解ったよ。けれど、あんたたち大馬鹿者だよ。どこへ向かいたいと思っているのか、解っているのか? メタモルフォーズの巣へ向かうと言っているんだぞ? そして、そこに進んでいく存在なんて居るわけがない。確かにこの世界はメタモルフォーズによって幾度か滅ぼされかけている。それは世界の歴史書にも示されている、殆どの人間が知る一般常識と言ってもいい。だが、その力は圧倒的すぎる。人間には到底倒すことが出来ない存在だったんだよ」

「解っている。解っているよ。……だが、どうにかしないといけない。そうしないと……助けられる人間も助けることが出来ないから」

それを聞いたからか知らないが、少女は小さく舌打ちをして踵を返す。

「……やっぱり、駄目か?」

僕は首を傾げ、少しだけ儚い様子で言った。恐る恐る、と言ったほうが正しいかもしれない。

しかし少女は踵を返すと、さらに話を続ける。

「違う。……さっき、私は言ったよな。タダで情報を得ようなんてことは出来ない。だから、それなりのものを提供してもらう必要がある、ということだ」

「交渉成立、ということか?」

「そう思ってもらって構わないよ。ただし、その『それなりのもの』はこの町一番の店でのディナーだ。はっきり言って、それなりに金は弾むぞ?」

「それで貴重な情報が得られるならば安いものだ。有難う、恩に着るよ。ええと、名前は……」

「リメリアだ。勘違いするなよ。お前たちにおける状況が私の琴線に触れた、というわけではない。それだけは理解してもらうぞ」

そう言ってリメリアは再び踵を返すと、歩いていった。

僕たちもそれを追いかけていくように、リメリアの後を追った。

 

◇◇◇

 

目を覚ますと、そこは暗い部屋だった。

壁に松明がつけられていて、それが唯一の明かりとなっている。いったい自分がどういう状況に置かれているのか立ち上がろうとして、そこで自分の足首と手首が重たいことに気付いた。

少し遅れてジャラリ、という鎖の音が聞こえたことで、私の両手首と両足首が鎖によって動きを制限されていることを理解した。

「ここはいったい……」

そう私がつぶやいたところで、私の目の前にある扉が大きく開かれた。

「目を覚ましたようだね、お姫様」

その声を聴いて、私はそちらを向いた。

そこに立っていたのは燃えるような赤い髪の男――バルト・イルファだった。

バルト・イルファは笑みを浮かべて、こちらに一歩近づいた。

「怒りを抱いているようだけれど、ちょっとこちらに怒りを抱くのもどうかと思うよ。僕は主から命じられてやっているわけだからね。下請け、とでもいえばいいかな? とはいえ、君がそう思うのもわかるけれどね」

「……何が目的なの?」

私は一歩下がる。すぐに壁にぶつかってしまい、もうこれ以上後退することができない――その事実を受け入れざるを得なかった。

バルト・イルファはさらに一歩近づくと、私の腕を手に取って、強引に部屋から連れ出そうとする。

「君に真実を伝えるためだよ、お姫様」

そう言うだけだった。

私はそれ以上何も言うことなく――そのまま引きずられるようにどこかへと向かうのだった。

 

 

通路は薄暗かった。手枷と足枷を外してもらうことはできたけれど、だからと言って逃げ出せるような状況でもなかった。場所がわからない、ということもあるし、できることならこの場所の情報を少しでも手に入れたい――そう思っていたからだ。

通路の先に見える明かりは、ようやく見えた明かりだというのにどこか悲しそうに見えた。正直言ってあの先にあるものがはっきりと見えてこない。

そうして私はバルト・イルファを先頭にして、通路の先を抜けた。

通路の先に広がっていたのは巨大な空間だった。壁の殆どは透明になっていて、壁の向こうの空間に何があるか見ることができる。

そこにあったのは、巨大な獣だった。それがどんな動物であるかはっきりと解らなかったけれど、ただ一つ、これだけははっきりと言えた。――それは、どの動物とも違う肉体で、様々な動物の顔がいろいろな場所についていたということ。

「これは……」

「オリジナルフォーズ、といえば解るかな? いや、正確に言えばオリジナルフォーズの肉塊から生み出された別のメタモルフォーズといってもいいだろう。どちらかといえば、そちらのほうが正確かもしれないがね」

「メタモルフォーズ……。こんなにも大きな、メタモルフォーズが」

エルフの隠れ里で初めて見つけたそれよりも大きなメタモルフォーズが、目の前にいた。ただしそれは目覚めているわけではなく、ほのかに緑色の液体に浮かんでいて目を瞑っていた。それだけ見れば眠っているように見えるけれど……。

「そうだ。君の思っている通り、あれは眠っている。眠っているけれど、起きている。どういえばいいかな。二元性を保っている、といえばいいか」

「オリジナルフォーズを使って、世界をどうするつもり?」

「オリジナルフォーズ。あれはまだ目覚めることはないよ。それは主の計画にとっては非常に残念なことではあるがね。目覚める手順は解っているというのに、それになかなか手を出すことができない。現実は非情だねえ」

「オリジナルフォーズを目覚めさせることができない……? けれど、あなたたちが使っているメタモルフォーズは」

「あれは模倣だよ」

バルト・イルファはそう言葉を投げ捨てた。

水槽を眺めて、バルト・イルファは遠いところを見つめるかのように、目を細めた。

「そう、模倣だ。オリジナルフォーズから抽出したサンプルを用いて、同じ構造の物体を作り上げる。そうすることでかつてのメタモルフォーズと同じようなものが生み出されていく、というわけだ。とはいえ、かつての時代で世界を滅ぼそうとしていたあのメタモルフォーズと比べれば力のスケールは圧倒的に小さいものとなってしまうがね。やはり模倣はそれなりの力しか使うことができない、ということだ」

「酷い言い様だね。……バルト・イルファ、君はいつも科学者のことを考えない。研究している人間にとってみればそれが精一杯の成果だということを、君も彼女も考えないのだ」

その声を聴いて、バルト・イルファは踵を返した。

そこにいたのは白髪頭の男だった。白衣を着て眼鏡をかけていたが、その様子はどこか落ち着いている様子に見える。しかしながら、その男の様子はどこか不思議と落ち着きのないようにも見えた。

「ドクター……。相変わらずあなたはまたこのような場所に居るのですか」

「別にいいではないのかい? ……きひひ、私としてはいつまでも研究の場に立っていられることはとても素晴らしいことだといえるけれどねえ」

そう言ってドクターとよばれた男は私に近づく。一歩、さらに一歩。最終的に小走りになった形で私の目の前に立った。

目の前にいる様子では、ドクターは小奇麗な男だった。こんなところにいなければそれなりに活躍できるのではないか――とは思ったけれど、それも彼の思って進んだ道の結果なのだろうか。

ドクターは私の表情を確認するように見つめると、頷いて笑みを浮かべる。

「……いつまで長々と見つめているつもりだ、ドクター。何か思うことでもあったか?」

「いひひ。いいや、何でもないよ。あのお方の子供を目の当たりにできるとは思いもしなかったからねえ。研究は続けていくものだ」

「当たり前だろう。……彼女はピースだ。それでいてスペアでもある。王の器を受け継ぐには必要な存在だ……。お前たち科学者は常々そう言っていただろう?」

「まあ、間違いではないさ」

ドクターはくい、と眼鏡を上げる仕草をして、

「けれどその認識のままでいくといつかダメージを受けることになると思うよ? 残念ながら、まだ当分王はあのままでいくだろう。結果はどうなるか解らないけれど、過程としては素晴らしいくらい順調に進んでいる。計画はあと少しで終わりを迎える。いや、正確には今から始まり……ということになるのかな。いずれにせよ楽しみであることには間違いない」

「別にそこまで言わなくてもいいだろう? ……さてと、話が過ぎた。これから僕は彼女をある場所に連れて行かないといけないからね。これで失礼するよ」

バルト・イルファはそうして強引にドクターとの会話を打ち切って、私の手を取った。

ドクターは小さく舌打ちをして、

「強引に連れていくのは、女の子に嫌われるよ? そう、例えば君の妹のような子にも……」

「妹のことは関係ないだろう? 君こそ、そんな適当なことを言って、僕に何かされる可能性は考慮していなかったのか」

バルト・イルファとドクターは仲が悪いのだろうか。いや、こういう文句を言い合える仲は意外と悪いものではない、と聞いたことがあるし、そんなことはないのかも知れない。

ドクターはこれ以上何も言えないと思ったのか、諦めて手を振った。

けれど、その様子はまだ諦めていないようにも見える。どちらかといえば、そっちのほうが大きいかもしれない。……ドクター、要注意人物に入れておこう。

「それじゃ、向かうことにしようか」

踵を返し、バルト・イルファはそう言った。

いったい私をどこへ連れていくつもりなのだろう。

バルト・イルファに問いかけたかったが、そうすることもできなかった。

バルト・イルファと私の戦力差は圧倒的なものであるとすでに理解している。バイタスの街を彼一人で焼き尽くしたことからもはっきりしている。ならば、無碍に戦いを挑むようなことはしない。

おそらくフルとルーシー、それにレイナが私を探しているはずだ。しかし出来ることなら、彼らが来る前にここから脱出しておきたい。彼らがどういうルートを辿るのか、そもそもここはどこなのかすらはっきりとしていないけれど、できる限り情報を盗んでおいてから脱出しておきたい。

そんなことを考えながら、私とバルト・イルファはまたひたすらと長い通路を歩いていた。

長い通路を抜けた向こうに広がっていたのは、いろいろな機械がある空間だった。機械はたくさんのガラスがついていて、その小さな箱には一つ一つ今まで通った場所が透けて見えるようになっている。

「……その反応だと見たことがないようだね、これはモニタというものだ。そして、私たちが今捜査しているものはコンピュータ。これを使ってあれの維持とこの場所の管理をしている。まあ、実際のところこれほどの技術は外部に流出なんてさせないから、別にこれを知ったところで何の意味も無いのだけれどね」

「あなたは……?」

「はじめまして、メアリー……で良かったかな? 私の名前はシュラス・アルモア。シュラス錬金術研究所の所長であり、現在もこの『リバイバル・プロジェクト』の主任を務めている人間だ。これからきっと長い付き合いになるだろうから、よろしく頼むよ」

そう言ってシュラスは私に手を差し伸べた。

しかし私はそれに応えることなく――シュラスを睨み付ける。

シュラスはそれを見て舌打ちをするなり、私の脛を蹴り上げた。

「痛っ……!」

「お前は黙って話を聞いていればいい。いうことさえ聞いていればいいんだよ」

先ほどの丁寧な口調とは違うシュラスの言葉。きっとこちらのほうが普段の口調なのだろう。シュラスは私を蔑むように見下ろした。

バルト・イルファは私を見つめることなく、シュラスのほうをただ見つめていた。仲介することも話をすることもなく、ただ傍観していた。

「……まあ、取り敢えずこれ以上私の手を煩わせるな。いろいろと面倒なことになるのは解っているだろう?」

「お言葉ですが、シュラス博士。彼女はおそらく自らの立ち位置を理解していないものかと思われますが……」

「『十三人の忌み子』の末路である貴様が、何を知っていると?」

それを聞いて眉を顰めるバルト・イルファ。

どうやら彼にとってその言葉は耳あたりの良いものではないようだった。

「……所詮、お前も主には逆らえない従順な犬に変わりない。それを理解することだな」

そう言ってシュラスは立ち去っていく。

結局あのシュラスという男は何がしたかったのだろうか――私にはさっぱり解らなかったけれど、バルト・イルファはそんな私を無視するようにさらに引っ張り上げていく。

「バルト・イルファ、あなたはいったい私をどこに連れて行こうとしているの?」

「そう焦ることもないだろう? すぐ終わることだ。それに、立場を弁えたほうがいいぞ。君は今、捕虜の立場に居るのだから」

「……貴様がメアリー・ホープキンか。神の子であり、王の器の継承者でもある人間」

その言葉を聞いて、私は前を向いた。

そこに立っているのは、麻の服を着た男性だった。頭部がすっぽりと隠れる帽子を被って、暑さを遮っているように見える。

「……私の名前はアドハム。スノーフォグ国軍大佐を務めている。以後、お見知りおきを……。と言っても、貴様はどう足掻いても最終的に私の名前を覚えざるを得なくなるがね」

「スノーフォグの……国軍大佐、ですって? この研究施設は国の施設……!」

それを聞いたアドハムは何も答えることなく、小さく舌打ちした。

「王の器と相性は、ほんとうにあっているのだろうな?」

「当然でしょう。だって、彼女は王の子ですよ?」

「王の子、とはいっても彼女は情報を何一つ知らないのだろう? はっきり言って、その状態ではただの一般人と変わりないではないか。だったらまずその知識を植え付ける必要があるのでは?」

「器との相性、知識とは関連性はありませんよ。器と相性さえ良ければ問題ありません」

背後から近づいたのはシュラスではない、また別の研究者だった。

「フランツ……」

「おや、僕のことは呼び捨てか。僕も嫌われたものだね。十三人の忌み子を育てたのは紛れもない僕なのに?」

溜息を吐いた科学者はまだ若い科学者のようだった。シルバーブロンドのさらりと透き通るような髪をしていた。

「フランツ。君からも何とか言ってくれないかね、この実験結果について」

そう言ってアドハムはバルト・イルファを指さした。

バルト・イルファはそれを見てにらみつけるようにアドハムを見たが、アドハムは当然それに屈することなど無かった。

「……さて、フランツ。私は忙しいものでね、さっさとエノシアスタに向かわねばならない。まったく、あの女王にも困ったものだ」

「女王、ですか。……まあ、あの人は我儘ですからね、致し方ありませんよ」

「その発言、女王に聞かれたら貴様とてただでは済まないのではないかね?」

「そうなればきっと『あれ』が許しませんよ」

そう言って、フランツは背後に浮かんでいる何かを指さした。

それはメタモルフォーズだった。まだ眠りについているようだったが、先ほど見たそれとはさらにサイズが違う。それに周りにある液体を取り込みながら、若干ジェル状になっているようにも見える。

「……確かに、そうだな。貴様がまだここにいるのもそれが要因だ。せいぜい、やることを果たしてくれ給えよ」

そう言って、アドハムは部屋から出て行った。

「アドハムはいつもああいう性格で、ほんとうに困ります。まあ、彼がここに居るからこそ、こういう研究が出来るわけですが。それも合法的に」

そう言ってフランツは溜息を吐くと、改めて私のほうを見つめて、笑みを浮かべた。

「君がメアリー・ホープキンだね? いや、まさかこんなにも早く君に出会えるとは思わなかったけれど、生憎王の器の時間が限られていてね。次の器を用意する必要が出てきたのだよ。申し訳ないねえ、君は冒険をしているようだったけれど、強引にこのような場所に連れてきてしまってね。残念ながら、少しだけお話をさせてもらうよ。なに、そんな難しい話じゃない。ちょっとしたヒヤリングみたいなものだ」

そう言ってフランツは話を始めた。

バルト・イルファはさりげなく話が始まるタイミングを見計らって、少しずつ私のそばから姿を消した。