第十九話(6)

 

人の呼気には水蒸気が含まれる。

例えばビニール袋を膨らましていって、暫くすると水滴がついていることがあるだろう。それが水蒸気である。

メアリーたちが居るバリア空間もまさにその状態になっていた。

とどのつまり、空気が循環される空間ならばそのようなことは無いのだが、メアリーの張ったバリアは閉鎖空間のそれと同じだ。即ち、空気が循環しておらず、酸素が供給されることも無いということを示していた。

「……白くなって、見えなくなったわね」

フェトーの目からも徐々に焦りが見え始める。時間が惜しいのか、或いはまた別の何かがあるのか。それは定かとはなっていないが、注目の的となっているのは確かだった。

水蒸気によって見えなくなっていることも知っていたし、それを見てあとどれくらいかで相手が戦闘不能に陥るかも解っていた。それは彼女の経験だった。

だからこそ、彼女はただ待つだけでよかった。或いは少し油断していたのかもしれない。あとは待つだけで戦いが終わるのだから、そう思うのは当然だろう。

そのシールドが割れた瞬間は、彼女が一番驚いた。

それは彼女にとってまったく想像出来なかったことだったからだ。なぜそんなことになってしまったか、ということよりもなぜ自分がそんなことも想像出来なかったのか、後悔のほうが大きいだろう。

この煙が出ている以上、簡単にメアリーたちを探すことが出来ない。それは即ち、彼女がこの戦いの中で初めて『失敗』した瞬間だった。

「……まずい。まずい、まずい、まずい! 何とかしてあの煙を打破せねば……」

「もう遅い」

それを聞いて、彼女は声のした方を向いた。

その方向を向いた瞬間、彼女の視界は唐突に閉ざされた。

「……何を!」

「目眩し。と言っても少々強力なものになるかしら。人間規格のものが通用するかどうか解らなかったけれど……案外通用するものね。もしかしてあなた、メタモルフォーズじゃなくてただの人間?」

「私が……、私が! メタモルフォーズなわけがあるまい! ああ、そうだ。そうだとも! 私はただの人間だ。メタモルフォーズに比べれば小っぽけで弱くて愚かな人間だ!」

はっきりと。

フェトーははっきりとそう言った。

彼女の言葉から推測するに……彼女は人間に執着しているようにも見えた。正確に言えば、執着よりも優位性を示したかった、或いは劣等感を意識していたかのいずれかになるのだろう。

「……私を蔑むか? 能力を持たない、この私を! 槍……この魔装具さえ無ければ、ただの人間と変わりないということを!」

「つまり、あなたは……『無能力者(ノン・アビリティ)』ということ?」

フェトーはそれについて、何も反応することは無かった。

無能力者。

名前の通り、魔術にも錬金術にも召喚術にも才能を見出せなかった人間のことを言う。大抵の人間はどれかの術の才能を持っている。その才能が開花したあとの進化、つまりはいかに成長出来るかは本人の努力次第と言えるかもしれない(とはいえ才能を持っていない分野の才能を無理矢理開花させるには、それこそ血の滲むほどの努力を必要とする。それでも、ほんとうにその才能が開花するかは確定事項では無い。あくまでも生まれ持った才能は、その才能が開花しやすいだけなのだ)。

しかしながら無能力者は、それに照らし合わせるとすれば、開花出来る才能を持ち合わせていないということになる。そして、それが意味することは……。

「無能力者は、この社会に適合していないとして『烙印』を押される……。だから、そのあとも無能力者は無能力者らしく生活していかざるを得ない……」

ルーシーは社会の授業で習ったことをそのまま呟いた。

「……その通り。だからこそ、私は能力を与えた。そうして、目的を与えた。それって結局、生きる目的を与えたことに等しいとは思わないかしら?」

声が聞こえた。

振り返ると、そこに立っていたのは、リュージュだった。

「リュージュ……!」

はじめに反応したのはメアリーだった。

もう彼女はリュージュが自分の母親であることを理解していた。理解していたからこそ、否定するのではなく、受け入れねばならないと思っていた。

だからこそ、彼女はリュージュを強い眼差しで睨み付けた。

「……何を考えているのか解らないけれど、その感じからしてみると、どうやら私を『母親』であると認識しているようね。それは至って素晴らしいことであるし、出来ることなら早く成し遂げておきたかったことよ」

「黙りなさい、リュージュ。あなたを。あなたのことを、母親なんて認めたく無い……!」

「強情な娘に育ったものね。いったい誰に似たのかしら? ……うん、それはあまり考えないようにしましょうか。非常に面倒なことになるのは明らかだからね。非効率な作業って、やる気にならないのよねえ……」

そう言って。

リュージュは腰に携えていた剣を引き抜いた。

細身の剣だった。波立っているそれは、燃え盛る炎のようにも見えた。

「……これはフランベルク。炎の剣とも呼ばれている剣のことよ。もともとは両手剣とも呼ばれているけれど、はっきり言ってそれは防御を捨てた無謀な行為に他ならないからね。私としては無駄な行為この上無い、というわけよ」

そうして、フランベルクを一振り。

刹那、メアリーたちの立っていた床が割れた。

割れたその先には空が見えて、地表が少し遠い位置にあった。

「これは……!」

「あまりにもスムーズに浮上していたから気づかなかったかしら? この城塞は空中城塞となっているのよ。即ち今移動しているということ。どこへ、かって? ……それは言わぬが花、ってものでしょう?」

このままだとマズイ。

メアリーは本気で思った。

しかし、しかしながら、それを理解した頃には……あまりにも遅過ぎた。

「……メアリー。本来ならここでは家族の感動の再会と言う場面なのでしょうけれど、そこまで私も甘くは無い。あなたを見て思ったわ……、あなたはやはり排除すべき存在だ、って。たとえあなたに、『適性』があったとしても」

そして、メアリーたちは地上へと落下していった。

リュージュが残したその言葉を、最後まで聞くことも無いまま。

 

 

「……リュージュ様。不甲斐ないところを見せてしまいました」

そう言って陳謝したのは、フェトーだった。

「いや。別に問題無いわよ。……だって、相手は腐っても私の娘なんですもの。だとすれば、それなりに大変になることは寧ろ当然と言えるかもしれないわね。見えていた、わけではないけれど」

リュージュは踵を返し、フェトーに近付く。

フェトーはそれを見上げる形だったが、

「……とにかく、『強化』が必要になってくるわね? フェトー。いや、もしかしたらあなたは気付いているのかも。あなた自身では、その力をこれ以上切り開けないということに」

「何を……?」

そうして。

フェトーがリュージュの言葉に疑問を呈した、ちょうどそのときだった。

リュージュがフェトーの胸に思い切り腕を突っ込んだ。

そして、的確に何かを掴み……そしてそれを体外へと出した。

「それ……は」

「あなたの心臓よ」

見せ付けるようにリュージュは言った。

その心臓は身体から切り離されているにもかかわらず、まだ脈打っていた。

「……何を……するつもりだ?」

「何をする、って。そんなこと、簡単ではないかしら? あなたの身体ではこれが限界。ならばどうすればいい? 答えは単純明快。あなたの身体を作り変える。そのためにもあなたの肉体の根幹である心臓を取り出す、ということ。それってあなたにとっても、もちろん私にとっても素晴らしいこととは言えないかしら?」

やはり、狂っている。

フェトーは前々からそう思ってはいたが、いざ自分がそう言われてしまうと、それを改めて実感してしまう。

「……さあ、何も怖くないわ。今はただ、眠りなさい……」

優しい母親のように、彼女はそう言って、フェトーを抱き寄せた。

そしてフェトーはゆっくりと……目を閉じた。

 

◇◇◇

 

僕はバルト・イルファとともに行動をしていた。どこに向かっているのかと何度も訊ねたが、一切答えることはしなかった。

「……お兄様、いったいどちらへ向かわれるのですか?」

ロマの声が聞こえて、バルト・イルファと僕は立ち止まった。

彼女は僕たちに立ちふさがるように前に立っていた。

「ロマ……、どうしたんだい。急に?」

「それは私の言葉です、お兄様」

ロマは一歩前に出る。

「お兄様はリュージュ様の意志を裏切る、ということですか? リュージュ様は予言の勇者を幽閉しておこうという考えであったこと、それはお兄様も私も理解しているはずではないですか。そしてお兄様は否定しなかった。けれど、お兄様は今予言の勇者と共にいる。それは即ち、リュージュ様を裏切ったということと等しくなりませんか?」

「……そうかもしれないね」

あっさりとバルト・イルファは肯定する。

しかし、さらに話を続けた。

「けれど、僕はリュージュ様を裏切ったとは考えていないよ。別にこれは世界のためだ。リュージュ様のためでもあり、君や僕のためでもある」

「それは言い訳にしか過ぎません」

ロマは右手を掲げる。

同時に僕の両腕につけられていたバンドから水が溢れ出した。

「まさか……、リュージュ様はこんなトリガーを残していたとは!」

「お兄様、もうおしまいです。いったいどのような計画を考えていたのかは定かではありませんが、まあ、きっとそれは近いうちに明らかとなるのでしょう。お兄様がそんなことをするとは、思いもしませんでしたが……」

そして、水は僕の身体を包み込んでいく。

僕の意識は落ちていく。ゆっくりと、ゆっくりと。深海に沈んでいくように。

「お兄様、またいつかお会いしましょう。そして、お兄様は私に尊敬されるべき存在でなければならないのですから」

ロマのその言葉を最後に、僕の意識は途絶えた。

 

◇◇◇

 

メアリーたちは船に乗っていた。

なぜ船に乗ることが出来たのか。それは単純明快であって、カーラが船を操縦し落下するメアリーたちの下に配置したためだった。

「まさかあんなものを用意していたなんて……!」

レイナは舌打ちをして、さらに浮上を続ける空中城塞を見つめていた。

メアリーは決意を固めるように呟いた。

「強くならないと」

それが聞こえたのか、ルーシーは頭を掻いた。

「まだフルは助かっちゃいない。とにかく彼を助けないといけない。そして……リュージュの野望を阻止しないと。だけれど、それには力が足りない。その為にも、強くならないといけない。そうだろ、メアリー? 仲間がいる。目的がある。強くなる為には、時間だって惜しむことはないだろう……。それがどれくらいかかるのか、ほんとうに解らないけれどね」

ルーシーの言葉に頷くメアリー。

そして、メアリーたちを載せる船は、空中城塞から落ちてくる瓦礫を避けるように、一旦そこから離れることとなった。

まさに断腸の思いではあったが、このままではリュージュたちを倒すことが出来ない。それが彼らの判断だった。

そして、その判断を知っているのか否か、リュージュも空中城塞で不敵な笑みを浮かべていた。

「……メアリーたちは一旦排除に成功した。予言の勇者の力も無効化した。面白いくらいに話が進んできているわね。いやはや、ここまで来ると神のご加護があるのかしらね?」

リュージュは誰かに問いかける。

しかし、答える人間は誰もいない。

「……さて、後は簡単。世界を壊して、ガラムドの救済を待つだけ。神が『落ちてきた』タイミングを狙って、神を『堕として』しまえばいい。それはもう、後少しの話」

そうしてリュージュは笑みを浮かべたまま、目の前にあるモニターを見据えた。

 

◇◇◇

 

こうして、予言の勇者の物語は終わりを告げた。

だが、これでほんとうに終わってしまったのだろうか?

物語はーー英雄譚はーーまだ始まったばかりだとすれば。

その時間は、もうすぐそこまで迫ってきている。