第十七話前編

 

知恵の木。

それはすべてが黄金に輝く伝説上でまことしやかに語られる存在だった。

レイナと初めて出会ったとき、そして仲間になりたいと進言したとき、彼女ははっきりとこう言った。

 

――私は『知恵の木』を一度でいいから見てみたい。それが私の夢だった。

 

そして、レイナ――正確には僕たち全員という形にはなるけれど――知恵の木を目の当たりにしていた。あの声の導かれるままに魔導書があった場所を抜け出すと、僕たちに立ち塞がるように存在していた石は無くなっていた。それはそれで問題ないといえば無いのだけれど、問題はその先にあるものだった。

その先にあったのは、広い空間だった。とはいえ外に出たわけではなく、頭上にある穴から光が差し込める空間となっていた。

そしてその空間に、すべてが黄金に輝く木が生えていた。

枝も、幹も、葉も、実も。何もかも黄金に輝いていたそれは、非現実的なものではないか――今僕たちは集団的に同じ夢を見ているのではないかと錯覚してしまうほどだった。

だけれど、その木は確かに僕たちの目の前に存在していた。

『この木に触れた人間は能力を得ることが出来ます。正確に言えば能力を開放することが出来る、と言えばいいでしょうか……。まあ、表現としては間違った話ではないことは事実ですね』

「能力を開放することが出来る……だとすれば、やる人間は一人しか居ないのでは無いか?」

その言葉を言ったのはシュルツさんだった。

「私とレイナは、はっきり言って成り行きでここまで来てしまったようなもの。ともなれば、ずっと旅を続けてきた君たちにその能力を開放してもらったほうがいいだろう。で、確かこの前言っていたよね。フルは魔法の加護、そしてルーシーは守護霊の加護を受けている。あと受けていない人間と言えば……」

「……わたし?」

メアリーは自身を指さして、首を傾げた。

こくり、と僕は頷いた。

シュルツさんの言葉はもっともだった。僕たちを基本として、それぞれ二人は目的があり、その目的を達成した後は彼女たちの自由だ。メンバーを離れてしまっても構わないし、逆についてきてもらってもいい。はっきり言ってしまえば、ついてきてもらったほうが僕たちとしては戦力が増強されるから構わないのだけれど、そうもいかないのが事実。やっぱり、僕たち三人で何とかしないといけないのだろう。

『では、決まりましたか』

声は僕たちに問いかける。

僕は頷き、メアリーが一歩前に出た。

「……私が、するわ」

『では、木に触れてください』

その声の通り、メアリーは木に触れて――目を瞑った。

 

◇◇◇

 

メアリーが木に触れたとたん、その手を通してエネルギーが流れ込んできた。そのエネルギーはまさにこの星の記憶。記憶をエネルギーとして莫大な量を保管している。そしてそれを凝縮して木の実としている知恵の木の実があるわけだが、その木の実ですらエネルギーは有限だ。

しかし知恵の木はその根源にあるわけだから――エネルギーはほぼ無限と言ってもいい。正確に言えば星の記憶をエネルギー変換することで莫大なエネルギーを無限として扱っているだけであり、莫大ではあっても無限ではないということだ。

彼女は目を瞑る。そのエネルギーの逆流は、痛みを伴う。静脈、動脈。あらゆる血の流れを押しのけるようにエネルギーが半ば強引な形で体内にめぐっていく。

「う……くっ……!」

耐えきれなくなって、思わずメアリーは声を出した。

『我慢してください。まだ、エネルギーの循環は続いています……』

声は聞こえる。だからメアリーは耐えるしかなかった。

フルとルーシーが加護を得ていることに劣等感を覚えていた、と言われれば嘘ではない。彼女も彼女なりにプライドがあり、それが傷つけられていた。もちろん、それは本人が知ってか知らずかのうちに、ではあったが。本人は別に傷ついたと思っていなくても、無意識のうちに傷つけられたと認識してしまうこともある。それが無意識にストレスとして蓄積してしまう。

強くなりたい。

フルとルーシーに守られるのではなく、フルとルーシーを守るような、強い力が欲しい!

そうしてメアリーの意識は――知恵の木の中へと取り込まれていった。

 

 

メアリーが次に目を覚ました時、そこは白い空間だった。

「……ここは?」

メアリーには見覚えのない空間だったため、辺りを捜索することから始めた。

どうして自分はここに来たのだろうか? ということまで考えることは無かったが、自然と彼女の口から、

「……もしかして、力を開放するための……試練?」

そんな言葉が零れ落ちた。

同時に、彼女の視界が描かれていく。まるで今までの白い空間がキャンパスだったかのように、ものすごい勢いでレイヤーに描かれていく。

そしてその空間が、漸く真の姿を見せた。

そこは、とある部屋だった。豪華な部屋ではあったが、人の気配は見られない。小さいベッドに子供が遊ぶような玩具がたくさん並べられている。

けれどメアリーとしては、その空間はどこか見覚えがあった。

でも思い出すことは出来なかった。頭の奥底にはこの部屋の記憶があったはずなのに、何故だか思い出すことが出来ない。それが今の彼女にとって、不思議で仕方なかった。

その部屋に誰かが入ってきたのは、ちょうどその時だった。

急いで部屋の隅に隠れて、彼女はその入ってくる人物の様子を窺った。

入ってきたのは乳母とみられる老齢の女性だった。なぜ乳母と解ったかといえば、その女性は一人の赤ん坊を抱えていたからだった。赤ん坊はその女性に慣れているからか泣くことなく、ただその適度な振動を受け入れているようだった。

赤ん坊はベッドに寝かしつけられると、そのまま乳母は部屋を出ていった。おそらく彼女にも用事があるのだろう。致し方ないことかもしれないが、一つの仕事ばかりを任されているのではなく、複数の仕事を並行しているのだろう。メアリーはそう推測して、その赤ん坊の表情を見るべく、ベッドのほうに向かった。

その顔つきに、どこか彼女は見覚えがあった。

「……もしかして」

彼女はずっと首を傾げて、記憶を整理する形でその赤ん坊が何者であるかを探していたが、漸く彼女は一つの結論を導いた。

「これは……私?」

そこに居た赤ん坊は――メアリーの赤ん坊だったころ、そのものだった。

「ということは、これは……私の過去の記憶、ということ?」

メアリーは推測を立てる。

しかし、明確に言えばそれは間違っていた。もしそれがメアリーの記憶であるとするならば、彼女が神の視点――いわゆる第三者視点からその記憶を見ていくことは出来ない。

だから彼女はその可能性を捨てる。

次に考えたのは、知恵の木が見せる『記憶』ということだった。

知恵の木は記憶エネルギーをメアリーの身体に循環させた。そして知恵の木が得る記憶はこの星の記憶ということになる。大地、空気、物体、液体――この世界に生きとし生けるものの記憶をすべて受け継いでいるのがこの知恵の木ということであるとするならば、この記憶も知恵の木の記憶を通して追体験しているのだと、そう考えたほうがまた現実味があった。

メアリーは少しこそばゆい気分になった。何故なら今目の前に居るのは彼女自身なのだから。即ちメアリー・ホープキンという人間は今この場に二人居るということになる。タイムパラドックスが起きてもおかしくないような状況であることは間違いないのだが、しかしこれはあくまでも記憶のお話しであり、実際に今その時代に居るというわけではない。

「……でも、どうして知恵の木はこの記憶を……?」

『それは、あなたが無意識のうちに封印していた記憶、それを知恵の木の記憶を通して提示しているだけにすぎません』

声が聞こえた。

その声は知恵の木に手を当てるよう言った声と同じ声だった。

「また、あなたですか……。あなたはいったい何者ですか……?」

『それはお伝えすることは出来ません。ですが、あなたにも、彼らにも悪い相手では無い、ということだけは言えます。それだけは信じていただけると、大変助かります』

そう言われてしまっては、何も言いようがない。そう思ったメアリーは致し方なく、その部屋の探索を再開した。

「……それにしても、」

メアリーは考えていた。

それは脳に直接聞こえてくる、あの『声』が言っていた、気になる言葉。

 

――無意識のうちに封印していた記憶。

 

それはいったい、どのような記憶だったのだろうか? メアリーは考えていたが、やはり無意識のうちに封印していた記憶、となると意識しているうちではそれが出てくるとは考えにくい。

部屋にあったのは本棚だった。本棚なら何か情報を得られないかと思い、捜索を開始したが、しかしそこにあったのは想像通り子供向けの絵本ばかりが並べられていた。

「まあ、想像通り……よね。こんなところに何か資料があるとは思っていなかったし。となると……、やはりこの部屋を出ていくしかないのかしら」

溜息を吐いて、メアリーは部屋の外に出ようと出入り口へ向かった、ちょうどその時だった。

誰かが扉を開けて、部屋に入ってきた。メアリーはそれを見て物陰に隠れる。先程自分の判断で記憶の世界ということを判断したにも関わらず、やはり気になってしまうものなのだろう。

メアリーは物陰から、誰が入ってきているのか様子を窺う。

入ってきたのは一人の女性だった。影になっていて見えないが、服を足元よりも長くなっているように見えるので、それなりに地位の高い人間なのかもしれない。

「……メアリー」

女性は、赤ん坊メアリーを抱き締めて呟いた。

その一言は慈愛に満ちた一言のようにも見えたが、冷たい視線を送っているようにも見える。簡単に言ってしまえば、『どうでもいい』の一言で片づけてしまうような、そんな表情を浮かべているようにも見えた。

そこでメアリーは漸く誰であるかを――理解した。

メアリーは言葉を失っていた。

メアリーは見られたくなかった記憶を、無意識のうちに封印していた記憶を、思い出した。

「ああ……、ああ、そうだ。そうだった……」

メアリーを抱き締めているのは、メアリーに冷たい視線を投げかけているのは、メアリーに彼女の名前を投げかけているのは。

「リュージュ……!」

そう。

スノーフォグのトップであり、この世界を破滅へと導こうとしている元凶。

リュージュが赤ん坊のメアリーを抱き締めていた。

それは冷たい視線を送っているとはいえ、赤ん坊メアリーはそんな彼女を笑顔で見つめていた。

メアリーは赤ん坊メアリーの表情こそ見えないものの、全く泣かないところを見て、徐々に記憶を取り戻していった。

「……どうして、この記憶を……」

メアリーは、問いかけた。

『戦う前に、能力を開放するために、あなたは運命と向き合う必要があった。記憶が、運命が、あなたの能力の上限を低くしていた。だからその記憶を、半ば強引の形になってしまったかもしれませんが、引き出しました。メアリー・ホープキン、あなたがリュージュの娘であるという紛れもない事実を、封印していた記憶を、解き放つために』

メアリーの問いかけに、淡々と声は告げた。

メアリーはその言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかってしまった。その『試練』の意味が、理解できなかったからだ。理解したくても、理解できなかったのかもしれない。

メアリーの母親がリュージュであるという事実。それはメアリーの中では記憶として残っているものの、封印したかった程なのだから、それを表に出されたくなかったこともまた、紛れもない事実であった。

「何で……そんなことをしたのよ」

押し潰されそうな思いになりながらも、何とか彼女は言葉を吐き出していく。

しかし声は何も答えない。

リュージュは赤ん坊メアリーをベッドに戻すと、最後に一瞥してそのまま姿を消した。

「答えなさいよ……! どうして、この状況をわざわざ見せられないといけないわけ! 私は、私は……この記憶を消し去りたかった。頭の片隅にすら残しておきたくなかったのに……!」

だとしても。

リュージュとメアリーは血縁関係であること。その事実は変わりようがない。

「解っているわよ、それくらい……! でも、あのリュージュが、私の母親。そんなことを知って、どれくらいの人間が傷ついたと思っているのよ?! いろいろな人を失って、いろいろなことを思った。私はこの記憶を閉じ込めておこう。そしてずっと伝えないで生きていこう。そう思っていた、はずなのに……!」

『おや、それはおかしい話ですね。あなたは無意識のうちに封印していたはずなのに? まるでこの記憶を封印していた事実、それを認識していたかのように、あなたは話していますね。それはおかしい、おかしい話ですよ』

「うるさい、うるさいうるさい!!」

『……でも、現実を見据えていかないと、何も変わりませんよ。メアリー・ホープキン。真実を受け入れなさい。物語は、現実程の空想があってこそ語り継がれるものです。現実味しかない物語を、誰が受け入れるというのですか?』

「受け入れる……物語……。何よ、何よ! 私がいったい何をしたというの。私は被害者よ!」

同時に、何者かが再び部屋の中に入ってきた。

『さあ、始まりますよ。あなたが隠したかった記憶、そしてそれを乗り越えることで……あなたは力を身に着けるのですよ』

その人物は、彼女もよく知る人物だった。

白衣を着た科学者のような男性――その男性は、

「父……さん?」

メアリーの父親が、その場に立っていた。

男は涙を流しながら、赤ん坊のメアリーを抱き締める。

それはまるで別れを惜しんでいるかのように。

メアリーは父親と一度しか顔を合わせたことが無い。それも子供の時、親戚に引き取られて以降は一度も父親の顔を見てはいなかった。

だが、彼女の中で父親の顔はずっと記憶の中にあった。リュージュの記憶を封印していたからかもしれないが、それでも彼女の記憶の中には父親の記憶が刻み込まれていた。

父親は立ち上がると、メアリーを抱きかかえたまま、外に出ようとした。

リュージュと対面したのは、ちょうどその時だった。

「……何が目的だ、フィールズ」

「別に君に話すことではないだろう。それでは、僕は研究が忙しいのでね。ここいらで退散とさせてもらうよ」

「……そんな言い訳が通用するとでも思っていたのか? お前が今抱きかかえているのは、誰だ。はっきり言ってみろ」

「メアリーだよ。僕と、君の子供だ」

頷くフィールズ。リュージュは睨みつけつつ、フィールズに抱きかかえられたまま眠りについているメアリーを一瞥する。

「それくらい知っているのならば、なぜ私がお前に質問を投げかけているのか、それについても理解してくれるわよね。あなた、そこまで馬鹿ではなかったはずだから」

「いいか、リュージュ。お前がどうしようったって勝手なことかもしれない。だが、この子はお前の子供であると同時に僕の子供でもある。にもかかわらず、お前は、メアリーを勝手に実験に使おうとしている。それを許せると思っているのか?」

「学究の徒なら、研究をすることだけを考えればいいのではなくて?」

リュージュはフィールズを睨みつけたまま、見下すような目つきへと変えていく。

対してフィールズは小さく舌打ちをすると、赤ん坊を守るべくさらに強く抱き寄せる。

「学究の徒であったとしても、自らの子供を研究対象とするほど狂ったわけではない」

「……ねえ、あなた。何か間違っているのではないかしら。何か考えをただしたほうがいいと思うのよ。別に私は、あなたを騙そうとは思っていない。メアリーのことだってそう。私はただ、人類のために……」

「嘘を吐くな、ならば、オリジナルフォーズの覚醒計画についてはどう説明つけるつもりだ? オリジナルフォーズの封印を解いた先に何が待ち受けているのか、知らないわけではあるまい。その先に待ち受けているのは人類の滅亡だ。遥か昔、ガラムド自らが描き示したと言われている魔導書の力と、予言の勇者が来ない限り、オリジナルフォーズは誰にも倒せない。あのテーラだってそう予言していたはずだ」

「テーラ……。そんな祈祷師も居たわね。自らは表舞台に出ず、予言を無償で行うこと、そうして人々を安寧へと導くのが使命と考えていた、非常におめでたい思考の持ち主だったわね」

一息。

リュージュはどこか遠くを見据えるような表情をして、部屋をぐるっと見渡した。

「……けれど、そんな考えだけじゃ何も変わらない。少なくとも予言だけを示して人々に不安を与えるくらいじゃあね! そんなもので世界が救えるというのであれば、軍隊も要らないし魔導書だって要らない。……予言の勇者にすべてを任せる? そんな、いつやってくるかも解らない不確定要素に世界を任せる。その考え自体がおかしい話なのよ。何故自分でアクションを起こさない? 何故自分で世界を救うべく、世界をより良い方向に進めようとしない? テーラはほんとうに、大馬鹿者だったわね」