第十七話中編

「テーラ様のことを否定できるのは、恐らく世界でも君だけだろうね。面と向かって否定していたからね。予言の勇者など有り得ない、と。けれど世界のほとんどはテーラ様の予言を信じていたけれど」

「予言は確かに間違っていないわよ。けれど、それに対する手段を全く考えていない。それのどこが問題ない、と? 祈祷師は確かに予言するだけの仕事かもしれない。けれど、そのあとの世界は勝手にすればいい、と。それは充分怠慢に値するのだけれど……あなたはそう思わなかったの?」

「思わなかったね。少なくとも彼は人類に対し危機感を持たせてくれた。それだけで問題ないのではないかね?」

フィールズはそこで会話を打ち切り、無理やり入口を塞いでいたリュージュを押しのけるような形で出ていった。

廊下の向こうで、声が聞こえる。

「待て、フィールズ。その子を……メアリーをどうするつもりだ?」

「彼女には幸せな人生を送ってほしい。このような場所で一生を終えるくらいなら……、彼女をここから出す」

「そんなこと、許されるとでも思っているのか?」

メアリーの位置からリュージュとフィールズの会話を盗み聞きすることは出来ても、実際の二人を眺めることは出来なかった。とはいってもここから出るとリュージュに見つかる可能性が高い。

しかしながら、まだメアリーは気付いていなかった。

この世界が知恵の木の記憶を通して描かれている世界であるとするならば、これは映像の一種であるということ。そしてその映像はメアリーに干渉しないし干渉されないということだ。

「……リュージュ。私は君のことをほんとうに愛していたよ。でも、それは祈祷師という地位と、その実力が欲しくて結婚したわけではない。君のその心を、清い心を愛していたからだ。でも、今の君にはそれが無い。世界を救うという建前で自分の欲望に忠実に働いている……バケモノと変わりないよ」

そして、足音が聞こえて、それが徐々に遠ざかっていく。

それがフィールズの足音であるということにはメアリーも理解していた。それは実際に見ていないとしても、状況で判断することが出来る。

リュージュは一歩前に進み、呟いた。

「……一回しか止めないわよ。後悔しないのね?」

「それは、君にも言えることだよ、リュージュ」

フィールズは立ち止まり、背中を向けたままリュージュに告げる。

「君がメアリーを産んだこと、それは君にとってほんとうに心から嬉しかったことなのかい? 今の僕にはそれが解らない。それでいて、僕にとってはほんとうに嬉しかったんだよ。メアリーが生まれて、僕の人生はバラ色に輝いていた。……けれど、リュージュ。君はどうやら違っていたようだね。乖離していた、と言ったほうが正しいのかな。今の僕には、メアリーのことを、母親として考えているのかが理解できない」

そうして、またゆっくりと歩き始める。

メアリーはもうこれから先を見たくなかった。はっきり言ってここまでの段階でも十分記憶の中から消し去りたかったものであったというのに、それでもまだ続けるというのか。

「いやだ……。こんな記憶を思い出させるくらいなら、私はもう……能力なんて要らない」

『自分の逆境を乗り越えることが、一番の試練でもあります。もしそれを乗り越えられないというならば、そこまでとなります。ですが、逃げることは……許されません。しっかりと前を見据えなさい。そして、自分の運命と向き合うのです』

声は冷たい調子でそう言った。

メアリーには、もう逃げ場が無かった。

リュージュは小さく呟いた。

「……止めるのは一度だけ。私は言いましたからね」

刹那、轟音が聞こえた。

そしてそれから少し遅れて部屋の中にも熱風が入ってきたことで、その轟音が炎魔法によるものであることが理解できた。

メアリーはリュージュに見つかる可能性すら考えることなく、部屋の外に出た。

リュージュの背中が見える。リュージュはメアリーなど居ないように、そのまま歩き出す。

炎魔法を撃ったその標的は、紛れもなくフィールズだった。

「……うん。やっぱり、防護魔法を使ったか」

燃えカスの紙を拾って、リュージュは小さく舌打ちした。

「けれど、ダメージを与えていないようでも無さそうだし……。取り敢えず、捜索しましょうか。まったく、人手が足りないというのに、困った殿方ねえ」

そうしてリュージュはゆっくりと現場を踏みつぶして、どこかへと向かっていった。

同時に、メアリーの居る空間全体にノイズが走り出す。

これで終わりだと思っていたメアリーは周囲を見渡す。しかし見渡したところで何も変わることは無い。

そうしてノイズが終わったころには、彼女はまったく別の空間に到達していた。

そこは下水道だった。下水道には樽があった。そしてフィールズの隣には一人の女性が立っている。

「フィールズさん、大丈夫ですか……!」

そこに居たのは、メアリーもよく知る人物だった。

「サリー……先生!? どうして、どうして先生がそこに!!」

もしこの情景が実際の風景であるならば、メアリーは直接彼女に質問をしたかっただろう。しかし、さっきのノイズでこの空間が実際の空間ではなく、映像のような空間であることを思い知らされ、その場で思いとどまるしかなかった。

「大丈夫だ、サリーくん。それにしても、君にはあまり迷惑をかけないつもりだったのだが……、大変申し訳なかったな」

そう言ってフィールズは項垂れる。サリーについて謝罪をしていたが、当の彼女はあまりそのような感情を抱いていないようだった。

「いいえ、別にそのようなことは……。私も、リュージュのことはどう考えてもおかしいと思っていました。しかし、今の研究員は大半が研究さえ出来ればいいと考えています。リュージュの傀儡と言ってもおかしくありません。誰もリュージュのことに『おかしい』と言う人は居ません。誰もが、リュージュのことは正しいと思って行動しています。いや、それ以上かもしれません。もしかしたら研究員の殆どはそこまで考えていないのかも……」

「それは僕も考えていた」

よろけつつも立ち上がるフィールズ。

倒れそうになった彼を倒れないように何とか彼女は肩を支えた。

「無理しないでください、フィールズさん! もう、これ以上は……」

声が、下水道に反響する。

どこに繋がっているかどうかも解らない、魔境と言ってもおかしくない場所。

左右に伸びている下水道だったが、右にゆっくりと水の流れがある以上は暫く進むと明かりが無いようで先が見えなくなっている。

その先に何があるのかはっきりとしていないが、この先は外に繋がっているということだけは知っていた。

「……この下水道は、ほんとうに警備が手薄なのかね?」

「ええ、それは確認しております。この下水道を通って海を渡るルートが一番安全にこの子を逃がす方法であると言えるでしょう」

「……解った。君が言うのであるならば、真実なのだろう」

フィールズは頷く。

「しかし、残念なことが一点だけあります」

サリーの言葉を聞いて、フィールズは首を傾げる。

「何だね、言ってみてくれたまえ」

「樽なのですが……二つしか用意出来ませんでした。つまり、どちらかが残らなければなりません」

それを聞いて、フィールズは目を瞑り、小さく溜息を吐いた。

「……そうか」

そして、それを見ていたメアリーは薄々何が起きるのか察しがついていた。

「フィールズさん、娘さんと逃げてください」

「サリーくん。君が逃げるんだ」

二人の言葉は、ほぼ同時に発せられた。

そして、暫しの沈黙が生まれた。

「……え?」

沈黙を破ったのは、サリーのほうだった。

対してフィールズは照れているのか頭を掻きながら、

「どうやらお互いに考えが交差してしまったようだな。残念なことではあるかもしれないが、これが一番現実味のある可能性ではあった。推測できていなかったわけでは無かったからな」

「……でも、フィールズさん。あなたはこの子の父親じゃないですか! それを、そんな……」

「父親だからこそ、だよ」

涙を流しているサリーの頭を優しく撫でるフィールズ。

フィールズは慈愛に満ちた表情でサリーを見つめていた。

「父親だからこそ、僕はメアリーを守らないと言えない。けれど、メアリーと僕が一緒に居ると狙われる可能性が高い。現に一度はリュージュを撒いたけれど、次は厳しいだろうからね。そのためにも、一度は時間を稼ぐ必要がある。解ってくれるかい、サリーくん」

「じゃあ、メアリーちゃんは……彼女は誰が守ればいいのですか!」

「簡単だよ、サリーくん。君が守ればいい。いや、守ってくれないか、メアリーのことを」

え? とサリーは顔を上げる。

そしてフィールズはサリーと互いの唇を重ねた。

「……もし、僕が追いつくことがあるのなら、また会おう」

そうして、フィールズはメアリーの入った樽の蓋を閉める。

サリーも踏ん切りがついたのか、自ら残っていた樽に入っていった。

蓋を閉めるとき、サリーは言った。

「絶対に、絶対に死なないでくださいね……!」

「ああ、約束するよ。だから、泣かないでくれ。また会えるのだから」

そうして、サリーの入った樽の蓋を閉めて、二つの樽をゆっくりと押していく。

水に浮いているからか簡単に動き出した。そしてあとは水の流れに従って、ゆっくりと動き出していく。

暗黒の中に二つの樽が消えていったのを確認して、フィールズは溜息を吐いた。

「……嘘は吐かないっていう性分だったんだけれどなあ……」

それを聞いたメアリーは、これから何が起こるのかを充分に理解していた。

再度ノイズが空間全体に走り、そして空間が移動した。

次にメアリーが到着したのは、広い部屋だった。質素な部屋に見えたが、立派な椅子があるところを見ると謁見の間に近い空間なのかもしれない。

そして、その場所にリュージュとフィールズが対面していた。

「まさか、逃げずにのこのこと戻ってくるとはね。……あら、けれど、メアリーが見当たらないわね。メアリーはどこに逃がしたのかしら? それとも死んじゃった?」

「メアリーのことについて、僕が言うとでも思っているのか?」

それを聞いたリュージュは溜息を吐き、椅子から立ち上がる。

「……何というか、まさかあなたがこんな人間だとは知らなかったわ。フィールズ」

リュージュは持っていた錫杖を床に勢いよく置いた。

それを一種の会話の切れ目であるかのように、リュージュは一歩近付いていく。

「それにしても、か……。まあ、君にとって僕という人間がどう映っていたのかは解らない。ほんとうに愛していたのかもしれないし、僕も道具の一つとして認識していたのかもしれない。今となっては知る由もないわけだが」

白衣のポケットに突っ込んでいた手を、ポケットから抜く。

そして彼はずれていた眼鏡の位置を元に戻すと、不敵な笑みを浮かべた。

「そうだった。フィールズ。あなたに一つ教えておきましょうか。あなたと私の認識のズレを少しは解消しておかないとね。きっとこれが最後の会話になるでしょうから」

「いったい何を……!」

「メアリーを外に出したことは、私の計画の範囲内です。これを言っても?」

「何だと……。それは、負け惜しみに過ぎないはずだ」

それを聞いたリュージュは高らかに笑った。

「……メアリーはそろそろ外に出しておかないとね。『スペア』の役割を担っていることだし。まあ、それはあなたもよく知っていることでしょうから、細かく今から話すことも無いでしょう。だって面倒だもの」

スペア?

それを聞いてメアリーはもっとリュージュの話を聞きたいと思っていた。自らにどのような役割があったのか、それが気になったからだ。

だが、リュージュはこれ以上話すことなかった。そして、それはフィールズも同じだった。

「スペア……。そうだったな。しかし、そうでも納得できない。まるでそのスペアを使う機会が無いから、追放したという風にもとれるが?」

「逆よ。スペアを使う機会があったから外に出したのよ。私の寿命は人よりも何倍も、いや、何十倍も長い。それはあなただって知っているでしょう? 祈祷師の寿命は何百年。人によっては千年単位も生きることだってあるけれど、そんなことはごくわずか。そのためにも、メアリーというスペアを用意した。私の力を直接引き継ぐためのスペアをね」

「……まるで君がすぐに死んでしまうようなことを言っているようだね?」

「私はいつ死ぬかなんてわからない。そんなことは『視』えないわけだから」

リュージュはそう言って、右手を差し出す。

「さて……、私のところへ戻ってきてありがとう。フィールズ。最後に何か言い残した言葉は無いかしら?」

炎を作り出し、それが徐々に大きくなっていく。

フィールズは何もせず、笑みを浮かべた。

何か策があるのか――リュージュはそう思ったが、まったく策なんて考え付いていなかった。ブラフをするつもりも無かった。

ただ単純に、笑っていただけだった。

「……まさか最後に君からそんなことを言われるなんてね。温情、ってやつかな。僕としてはただ一つだけ。これだけ言わせてくれよ」

そして、フィールズは眼鏡を上げて、

「――愛しているよ、リュージュ」

「そう。私もよ、フィールズ」

刹那、彼女の放った炎がフィールズに命中した。

 

◇◇◇

 

メアリーは知恵の木に触れたまま、その身体を硬直させていた。

いったい何が起きたのか僕たちには全然解らなかったが、自然と僕たちは待機していた。

いつメアリーが意識を取り戻してもいいように、待機していた。

「メアリー……、大丈夫かな。いったい、どのような試練を受けているのだろう……」

頭の中に響いた声から、僕たちは試練のことだけを聞いていた。

けれど、僕たちはその試練がどのような内容なのか――というところまでは聞き及んでいない。

「うん。どうなのだろうか……。とはいっても、あのまま動かしちゃいけないとも言われているし……。ただ僕たちはその試練をクリアするかどうか、見守るしか無いのかもしれない」

動かしちゃいけないということ。それも頭に響く声から聴いたアドバイスのようなものだった。今から彼女は試練を受ける。けれど試練を受けている間はその身体を動かしてはいけない、ということ。正確に言えば知恵の木からその手を離してはいけない、ということらしい。理屈やシステムはよく解らないけれど、よく解らないなりに話を聞いて、従っているという感じだった。

メアリーの身体がゆっくりと反応を示したのは、ちょうどその時だった。

「メアリー!?」

僕たちはメアリーの反応を見て、急いで彼女のもとへと向かった。

メアリーは目を瞑っていたけれど、ゆっくりと目を開けて、僕とルーシーの顔を交互に見つめた。

「ふ、フル……それにルーシー……。あれからどれくらい経過したの?」

「たぶん、三十分も経過していないと思う。……メアリー、無事に戻ってきた、ということは……試練は成功したのかい?」

『ええ、その通りです』

再び、脳内に聞こえる声。

メアリーはその声を聴いて大きく頷いた。

「試練は終わった。……確かに、力を感じる。今なら、前よりももっと強い錬金術を使うことが出来る……と思う」

しかし、メアリーの表情は暗い。どうしてだろう? 無事に試練も乗り越えたはずなのに、どうしてメアリーの表情はまだ暗いままだったのか。

それを訊ねようとした、ちょうどそのタイミングだった。

メアリーが僕とルーシーの顔を再び交互に見て、大きく頷くと、

「フル、ルーシー。私、あなたたちに言いたいことがあるの。どうしても、今、伝えないといけないことなのだけれど……」

そう話を切り出して、一息。

言い澱んでいたけれど、ゆっくりと、メアリーは告げた。

「今回の敵、リュージュは……私の母親、よ」