第六話後編

 

夜のエルファスは昼のそれとはまったく違う状態だった。

正確に言えば、全体的に酒臭い。結局その理由は火を見るよりも明らかなのだが、それを気にすることなく町を歩いていた。

一言ルーシーに何か言っておくべきだったか――出発前に僕はそんなことを思ったけれど、何か面倒なことになりそうなので言わないでおいた。ひとまずは、あのミシェラが言っていた発言が妙に引っ掛かる。それをどうにか解明するために――僕は歩いていた。

メリーテイストという色宿に到着したのはそれから十分後のことだった。

そしてメリーテイストの前には、一人の少女が僕を待ち構えていた。

ミシェラ――彼女だった。

「待ちくたびれたわ、アナタ。まさかこんな時間にならないとやってこないなんて」

「……一緒に居るメンバーが眠りにつくか、あるいはそれに近いタイミングじゃないとやってこられないものでね。それくらい何となく解るだろう?」

言い訳に近い言葉を話して、僕は何とか許しを請おうと願う。

「ふうん……。まあ、いいけれど。取り敢えず、入ってよ。あ、言っておくけれど、お金はかからないよ」

「そうなら、安心できる」

「ま、別に大した話じゃないけれどさ、聞いてほしい話もあるってわけ。オーナーには、アナタは私の友人として通すから。アナタ、名前は?」

「フル……ヤタクミ」

「フル・ヤタクミ……ね。うん、ちょっと変わった名前だけれど、気に入った。さあ、中に入って」

そう言ってミシェラは中に入っていく。

ほんとうに僕がこの中に入っていいのかと思うが――しかし情報を得られるのであればどうだってかまわない。そう思って、僕は色宿の中へと入っていった。

 

 

色宿とは名前の通り娼館と宿を兼ねている空間のことを言う。のちに知ったのだが、エルファスの町を支える産業の一つが色宿と言われているくらい、この町には色宿、そして娼館が多い。

色宿『メリーテイスト』の扉を開けると、甘ったるい香りが鼻腔を擽った。

「よう、ミシェラ。どうしたんだ?」

ミシェラは現れた眼鏡をかけた男に訊ねられて、目を細める。

「別に。ちょっと古い友人と出会ったから外で話していただけ。寒いから、部屋で話すの。いいでしょう? 別に客も来ていないし。もちろん客が来たら対応するから」

「それくらい当たり前だ。……解った、それじゃ、部屋に案内しろ。言っておくが、」

「なに?」

強い目線で、男を見つめる。

男は何か言いたかったようだが――言葉に詰まって、何も言い出せない。

少し間をおいて、男は頷くと、

「解った。お前さんには稼いでもらっているからな。少し時間をやるよ。ただし、その時間を過ぎて、客がやってきたら、その時は対応してもらうからな」

「ありがとうございます」

そう言って、二階へと続く階段を昇っていくミシェラ。

それを僕は追いかけていくしかなかった。

たとえこの先に何が待ち受けていようとも、ひとまずは――従うしかない。

彼女の部屋に入ると、白を基調とした部屋が出迎えてくれた。

大きな屋根付きのベッドに腰かけて、彼女は深い溜息を吐いた。

「……座りなよ」

隣をポンポンと叩くミシェラ。正気か? と僕は思ったけれど、普通に考えてみると彼女はそういう職業だから隣に男を座らせることには何の抵抗もないのだろう――そう思って、僕は彼女の隣に座った。

ミシェラは呟く。

「今日は来てくれてありがとうね。まさかほんとうに来てくれるとは思わなかったからさ」

「……いや、ちょっと気になったからね。それにしても、いったいどういうこと?」

「どういうこと、って?」

「君の言葉が少し気になっただけだよ。どうして、ただの旅人としか言っていなかった僕たちに、話したいことがあったのか? もしかして何か隠しているのではないか、って」

「……そうよ」

予想以上に早く、彼女は口を開いた。

そしてミシェラは俯きながら、言った。

「私、旅がしたいの」

「……旅?」

何を言い出すのかと思っていたが、その発言を聞いて思わず目が点になった。

しかし、ミシェラの話は続く。

「この世界は広い。けれど、私たち姉妹に立ち塞がったものは、重く、深く、それでいて残酷だった。私の姉、カーラのことは知っているでしょう? 何せ、今日の昼に出会ったのだから」

「……ああ、もちろん知っているよ。ただ、あそこで諍いがあった程度にしか理解していないけれどね」

「それで充分。それで問題ないよ。先入観さえなければいいのだから」

そう言い出して、ミシェラは彼女の思い出を話し始めた。

それは深い思い出であり、残酷な思い出だった。

正直言って、彼女がその年齢でそれを受け止めるには、あまりにも残酷すぎる。

ただし、それは部外者、あるいは経験したことの無い人間が語ることの出来るものになるのだろうけれど。

 

◇◇◇

 

十年前、私たちはスノーフォグのとある村に暮らしていた。

スノーフォグというのは、この国のように治安が良いわけではない。正確に言えば、治安が一定なわけではない。治安はその場所によってバラバラで良いところもあれば悪いところもあった。ハイダルクはそれが無くてすべて均等になっているけれど、スノーフォグにとってはそれが常識だった。

スノーフォグの村、そこで私たち姉妹と家族は暮らしていた。父親はスノーフォグの兵士で、母親は村で私たち姉妹を育ててくれた。父は城を守る兵士だったから、そう簡単に家に帰ってくることは無かった。けれど、城の安全を守っているということは常日頃聞いていたから、私はお父さんのことを尊敬していた。

私たちの日常が一変したのは、八年前にあった科学実験が原因よ。

科学実験――そういえば聞こえがいいかもしれないけれど、実際に言えば悪魔の実験だった。錬金術、魔術、化学……一応いろいろな学問があると思うけれど、あんな学問は未だに見たことがない。

阿鼻叫喚、悲鳴が合唱のように響き渡り。

私たちの住む村は――壊滅した。

そしてなぜか私たちだけ、生き残った。

父が帰ってきていた、偶然で最悪のタイミングでのことだった。

 

◇◇◇

 

「……」

淡々と語られる過去を聞いて、僕は何も言えなかった。

正確に言えば、相槌を打てるようなそんな余裕も無かった。

「……そのあと、私たちは施設に送られた。強制的に、ね。その施設こそ、私たちの村を滅ぼした科学者が居る施設だった」

「……だったら、それを国に訴えなかったのか? 非人道的実験を実施しているなんてことを国に知られたら、それこそその組織は終わってしまうだろ?」

「国ぐるみでやっているのに?」

「……え?」

「あくまでもこれは私の推察だけれど、あの村の非人道的実験は確実に国があったからこそできたことだと思う。そして今もその組織が活動しているのかどうかは知らないけれど……私は許せなかった」

「組織は、何をしてきたんだ?」

「メタモルフォーズは人間の進化の形である」

「え?」

彼女の言葉に、僕は首を傾げた。

「その組織に居た科学者がしつこいほどに言っていた言葉よ。洗脳するつもりだったのか知らないけれど、それに近いものだったことは覚えている。ただ……その言葉の意味はまったく理解できなかったけれど」

「メタモルフォーズは人間の進化性、ってことは何かされたのか?」

「……血液の採集、それだけだったかしら。あとは『適性が良くない』というばかりで何もしなかったけれど。それだけは運が良かったのかもしれない」

月の光が、窓を通して入ってくる。

ミシェラの横顔が、月に照らされて――とても綺麗だった。

しかしながら、それに対して語られる物語は酷く残酷なものだった。

「それで、君たちは逃げ出した……ということなのか?」

こくり、とミシェラは頷く。

「……私たちは逃げ出した。あの施設で実験をされることがとても怖かったから。それに、見てしまったのよ」

「見た、とは?」

ミシェラに問いかける。彼女自体が話しているとはいえ、内容自体は彼女の心的外傷――トラウマに近いものだ。だから慎重に話しかけなければ、情報を得ることは出来ない。

けれども、彼女は強かった。

はっきりと、自分の言葉で考えて、そして話していた。

「人が苦しんで――『翼』が生える瞬間よ」

翼。

それは人間には有り得ない部位のことだった。

そして明らかに人間とは違う部位であることを――彼女だけではなく、人間誰しもがそれを理解することが出来るだろう。

「苦しみながら、もがきながら、けれども科学者は笑っていた。そういう感情を抱く被験者を見て、笑っていたのよ。そして――翼が生えた。その衝撃で被験者は気を失っていた。けれども、科学者は喜んでいた。それこそが科学の進歩、その第一歩だって……」

人間を、進化させる?

それが科学の進化、その第一歩?

正直、彼女の言っていることは突拍子もないことだった。それに間違いはないのだけれど、その話を聞いていて、怒りが芽生えてくることもまた事実だった。

人間の遺伝子を、自分の好き勝手に組み替えて実験を行う。

そんなもの、許されるはずがない。

許されるわけが無かった。

「……逃げた後、どうして君たち姉妹は分かれることになったんだ? 一緒に住むことは不可能だったわけか?」

「私たちは逃げて、船を使って、バイタスという港町に辿り着いた。生まれてスノーフォグを出たことが無かったから、私たちはすぐに立ち止まってしまった。これからどうすればいいのか、途方もない旅をいつまでも続けるわけにはいかない……そう思っていた」

一旦、彼女は言葉を区切る。

「けれど、そこで私たちにほぼ同時に二つの出会いがあった。一つは、偶然旅行に出ていたエルファスの町長、そしてもう一つはスノーフォグに興行のため向かっていたメリーテイストのオーナー。二人はそれぞれ『一人』しか保護することは出来ない、と伝えていた」

「……それで分かれることになったのか」

「はっきり言って、雲泥の差よ。どちらに着くか、は。当時であっても、私たち二人は町長に保護してもらうことが一番であると考えていた。だから二人とも、必死に頼み込んで、私たち二人とも保護してもらうか、あるいはエルファスで仕事の都合をつけてもらえるかどうか、そういうことを頼んでみよう……そういう話をしていたのよ」

ミシェラは自らの身体を抱くように、両手を逆側にそれぞれ伸ばした。

「けれど、裏切った。姉さんは裏切ったのよ」

姉さん――とは昼に出会ったカーラのことだろう。僕は適当に相槌を打って、彼女の話の続きを聞き出す。

「その日、姉さんは『私を町長の保護下にしてほしい。そういう話し合いで決まった』と言い出した。私は呆れてなにも言えなかった。それと同時に私は実感したわ。私は姉さんに捨てられたのだと。妹のことなど、姉さんには必要ないのだって」

「……そして、ミシェラ、君は?」

「その場から逃げ出して、すぐにメリーテイストのオーナーに声をかけた。話し合いで私がメリーテイストに向かうことになったので、よろしくお願いします……ってね」

ニヒルな笑みを浮かべ、僕のほうを向いたミシェラ。

その表情は、どこか悲しそうだった。

「……でも、それと旅に出たい。二つのことは導かれないと思うのだけれど?」

「一言いえば復讐、けれど広い目的で言えば世界を見てみたかった、ということかな」

「世界を見てみたかった?」

「私はずっとスノーフォグ、それとこのエルファスしか見たことが無かった。それ以外の情報と言えば客が英雄譚のように話す物語ばかり。飽き飽きしていたところだったのよ、正直言って、ね」

彼女の言い分も、なんとなくであるが、理解できた。

つまり、百聞は一見に如かず。一度聞いたことを、見てみたいということだった。

「でも……女の子一人で旅に出る、というのは……」

「あら? これでも私、回復魔法を使うことが出来るのよ? ……きっと、これはあの研究所で身につけさせられたモノなのかもしれないけれどね。ちなみに姉さんは守護霊術だったかな。いずれにせよ、あの場所で身に着いたものが役に立つことは無い、そう思っていたことは紛れもない事実だけれど」

回復魔法を身につけさせられた?

それはつまり、まったく何も無かった人間に魔法や守護霊術のような――一つの才能を人工的に備えさせた、ということだろうか。もしそうであるならば、それは凄いということには間違いないだろう。ただし、勝手に身に着けさせた――というのであれば、話は別になるだろうが。

「それを使えることは、はっきり言ってこの町じゃ出来ないことよ。けれど、旅をするのならば話は別。回復魔法を使う魔術師なんて、あんまり居ないでしょう? ねえ、私を……あなたたちの仲間にしてくれないかしら。きっと、足手まといにはならないし、させない。後悔もさせないつもりだから」

ミシェラは復讐がしたいと言った。

けれど、その発言は出来る限り通したくない発言だった。

復讐は復讐しか生み出さない。それはどこかの誰かが言っていたような気がした。その発言通りであるならば、ミシェラが復讐をすることを止めたほうがいいと思ったからだ。

けれど、それをそのまま伝えても逆上されるだけだろうし、彼女が諦めてくれるとは思えない。僕たちじゃなくても別の旅人を捕まえてでも、最悪一人でも復讐の旅に向かうはずだ。

けれども、それを言える立場は僕にはない。

僕はこの世界にきてまだ日が浅い。そんな僕が、彼女に『復讐なんてやめたほうがいい』なんて言っても問題ないのだろうか? きっと、受け入れてもらえるはずがない。

「……まあ、これを言ってもきっと君には関係ないと言われるかもしれないけれどね。でも、もし受け入れてくれるのならば、私も旅の仲間に入れてほしい」

僕は彼女の強い眼差しに、ただ頷くしか無かった。

彼女の意志はとても強いものだった。

だから、僕が断ったとしても、きっと彼女は一人で旅に出る。

そうしたとき、仮に――モンスターの攻撃で死んでしまったら、それこそ後味が悪い。

だから僕は、その言葉に頷いた。

それは話を聞いてしまった責任かもしれないけれど、きっとメアリーたちはそう言ったとしても信用してくれないだろうなあ。『お人よし』の一言で済ませてしまうかもしれない。まあ、それで済ませてくれるのであれば、とっても嬉しい話ではあるけれど。

 

◇◇◇

 

「それでミシェラという子の話を受け入れたわけ? お人よしよ、フル。さすがにそれはどうかと思うわ」

帰ってきて、次の日の朝。メアリーは想像通りの言葉を口にした。

予想していた通りと言えばその通りではあるのだけれど、いざ言われると申し訳ない気分になる。いや、昨日の時点ではしっかり彼女の話を伝えて、メンバーに入れたいという意向をはっきりと伝えるつもりだったのだけれど、どうもメアリーと話すとうまく自分の意見が反映されないことが多々ある。それはメアリーがうまくメンバーのかじ取りをしているということでもあるのだけれど。

ルーシーは頭を掻いて、メアリーの後に続ける。

「あのな、フル? 君がどういう考えをもって行動しているのか、あんまり考えたことは無いけれどさ、だとしてもこれはどうかと思うぜ? メンバーを入れること、まあそれについては百歩譲って認めるとしても、それをせめてこちらに一回話をしてくれることくらい考えてもらっても良かったんじゃないか?」

「それは……確かに申し訳ないと思っている」

「まあ、いいわ」

メアリーは深い溜息を吐いて、僕のほうを改めて見つめてきた。

「フルが決めたんだもの。そして今はフルがリーダー。私たちのメンバーは、トライヤムチェン族の集落へ向かった時からずっと変わらないと思っていたけれど……、それでも、フルが認めたのならば、私たちも認めましょう」

一蓮托生、という言葉がある。

確か、善悪に限らず仲間として行動や運命を共にする――そんな意味だったと思う。

メアリーの世界にそんな言葉があるとは思えないけれど、それは即ち、一蓮托生ということなのだろう。

ルーシーもメアリーの反応を見て、頷く。

「メアリーが良いというならば、僕も構わないよ。それに、回復魔法を使うことが出来るのだろう? だったら、今後の旅に打って付けじゃないか。まあ、そんな危険な旅になるかどうかは未だ解らないけれどね」

「メアリー、ルーシー、有難う……」

僕は、無茶なことを認めてくれたメアリーとルーシーに頭を下げた。

仲間という言葉がとても嬉しかった。

仲間という言葉がとても有難かった。

「……ところで、エルファスの町長に頼まれた件、忘れていないでしょうね?」

「それももう決定しているよ。頼まれたからには、行動するしかない。僕はそう思っている」

「つまり、やるってことね……。まあ、そういうと思っていたわ、フルのことだから」

「確かに、メアリーの言った通りのことになったね。まあ、それはそれで全然構わないけれど」

頷いて、ルーシーも僕のほうを見た。

それに答えるように、僕も――はっきりと頷いた。

 

 

そうして、僕たちは了承した。

ただし、一つの条件を付加して。

「……ミシェラも連れていく、ということですか?」

その条件に一番反応したのは紛れもない、カーラだった。

その言葉に僕は頷く。少し遅れてミシェラも頷いた。

「ミシェラ。確かカーラの妹だったか。何故、そのようなことを望むのか、私に聞かせてくれないか?」

町長の言葉を聞いて、彼女は小さく頷いた。

そしてミシェラは、昨晩僕に言ったことを、そのまま告げた。さすがに一言一句一緒とまでは行かなかったけれど、彼女は、彼女の言葉でそのことを告げた。

ミシェラの言葉を聞いたのち、町長は頷く。

「……そうか。君はずっとそういう思いを抱いていたのだな。済まなかったな、気付けなくて。まったく、大人として恥ずかしいよ。こんなことにも気付けなかったのだから」

「町長。そのようなことは……」

「カーラ、君にはこの四人のサポートをしてもらいたい」

町長は踵を返し、カーラにそう言った。

「私が……ですか?」

「不服かね?」

町長の言葉に、首を横に振るカーラ。

「いえ、そのようなことはございません」

「ならば問題なかろう。生憎、場所は解らない。しかしカーラ、君なら道案内が出来るはずだ。本来であるならば、私が出向きたいところではあるのだが、私は町長だ。この町を離れるわけにはいかない」

「ですが……」

カーラは何処か嫌悪を抱いているような、そんな表情をしていた。正確に言えばそれはただ困っていただけに見える。まあ、普通に考えれば致し方ないことかもしれない。

自分の妹が旅に出ると言うのだから。普通の神経を持っていれば、心配するのは当然のことだと言えるだろう。

しかし、それを制したのは町長だった。

「カーラ、言いたいことは解るが、少し彼女のことも考えてみてはどうかね?」

「しかし、町長!」

町長は首を横に振った。

それを見て、彼女は今ここに自分の味方がいないことを思い知ったのか、口を噤んだ。

「……君が心配することも解る。だが、それまでにしないか。君がずっと心配性だと、ミシェラはずっと一人になりたくてもなることはできない。いや、言い方を変えよう。ミシェラは独り立ちすることが出来ないよ」

「……そんな、いや、まさか……。町長、あなたまでいったい何を……」

「君の言う言葉と、私の言う言葉では相容れないこともあるかもしれない。はっきり言って、それは当然のことだ。人間は一人一人違った生き方をしていて、一人一人違った考えを持っているのだから」

どうやら、町長は未だきちんとした考えを筋として持っているようだった。そしてそれは僕たちの考えにとっても、とても有難いことだった。

カーラは深い溜息を吐いて、ミシェラに問いかける。

「ミシェラ、あなたがどういう道を歩むかは解らないけれど……、そのことについて、何も後悔していないのよね?」

「少なくとも、今は。そしてこの選択を永遠に後悔しないようにするのは、今からの努力次第になると思うよ」

「そう……」

ミシェラの決意はとても強いものだということ、それを彼女は再認識して、大きく頷いた。

「うん。だったら、お姉ちゃん止めないよ。あなたの行きたい道に進みなさい。けれど、あなたの家族は、ここでいつまでも待っているから。そのことだけは忘れないでいて」

「……解った。ありがとう、姉さん」

「さて、話はまとまったようだな」

町長の話を聞いて、ミシェラとカーラは頷いた。

「カーラ、場所は知っているね? 家の前に馬車を置いているから、それを使ってエルフの住む里へと向かうのだ。場所は御者に伝えてあるから、その通りに行けばいい」

「解りました」

カーラは頷き、頭を下げると、僕たちに向かいなおして、言った。

「それでは、向かいましょう。エルフたちの住む、隠れ里へ」

 

◇◇◇

 

どこかの場所。

暗い部屋に、一人の科学者が跪いていた。

その先に居るのは、一人の人間――いや、それを人間と言っていいのだろうか? 解らないが、どちらにせよそれが正しいかどうかも、もう科学者は解らなかった。

「して、報告を受けようか」

声を聴いて、科学者は首を垂れたまま話を続ける。

「はい。トライヤムチェン族の集落に向かったルイス・ディスコードですが、失敗に終わったようです。現に、予言の勇者はエルファスに辿り着いたものかと……」

「エルファス、ねえ……。あそこは確か妖精の木があった場所よね?」

「ええ。ですが現状エルフは住んでいません。エルフが住んでいない妖精の村など、ただの村と変わりありませんよ」

「……ふうん。そう、あの子たち、あの場所に居るの。ということは、あの武器も手に入れられる可能性があるわけね」

「いかがなさいますか?」

次に、違った男の声が聞こえた。

その声は科学者のそれと比べると明らかに幼い。まだ学生かそれに近い年齢の声に聞こえた。

「……まだあなたが出る幕では無いでしょう。今は私にお任せください」

また別の声が聞こえた。

「あなたもいいけれど……あなたは村のほうに向かってもらいましょうか。あそこには確か『手に入れるべき』モノがあったと記憶しているし……。まあ、ほんとうは必要ないのだけれど、私以外の誰かが持っていると厄介なのよねー。あの苗木は」

つまらなそうに。

手に入れた玩具が自分の好みに合わなかったかのような、そんな子供のような表情を浮かべているように感じられた。

しかし、科学者には顔が見えないから、それがほんとうにそういう表情をしているのかどうかというのは解らないのだが。

しかし再び、明らかにつまらなそうな溜息を吐いて、それは言った。

「苗木の回収と、目撃者の抹消。その二つを目的として、出撃して頂戴。目標はエルファス。座標は……まあ、言わないでも解るわよね? 大きな木を目印にしていけば、そう長い距離では無いから」

「了解いたしました」

頭を下げて、声が一つ消えた。

「それじゃ、僕は今回要らないってことか。あー、暇になるなあ。ねえねえ、もっと遣り甲斐のある仕事はくれないかなあ? さすがにここで演習ばかりやっていくのも飽き飽きするよ。ロマもそう言っているしさー」

「ならば、あなたにはもう一つの任務を授けましょうか。……うふふ、私に付いてきなさい」

「付いていって、どうするつもりさ? 護衛でもするつもり?」

科学者にとって高尚な地位に立っているそれと話すときは、敬語を外すことなどできやしない。

しかしながら、彼の前に立っている二人は対等な地位――というよりも、男がそれに対してフランクすぎる態度で話していた。それは男が敬語を嫌っている以上に、精神的に未だ子供だと言えるところが多いからだった。

(だが、それが問題だ……)

精神的に子供と言える――それは即ち、扱いづらいということを意味していた。

子供は大人以上に、欲望に忠実に生きる。それは即ち、自分がやりたくなければたとえ上司からの命令でもやらないことが殆どだということだ。さすがに、彼の目の前に立っている男はそんな我儘を通すほどではないが、問題は、もう一つのほうだった。

「私はこれから暫し外出する。あれの研究を進めておくように。私が戻ってくるまでに、何らかの良い結果が得られることを、期待しているぞ」

そう言って、それは立ち上がると、気配を消した。

そして男もそれを追うように、姿を消した。

一人取り残された科学者はようやく顔をあげると、自らの額に触れた。額には汗がじんわりと滲んでいた。

それほどに、その存在は科学者にとって恐ろしい存在だった。何か間違った発言をしてしまえば、自分の命を消される。そういう存在だった。

「……早く、『あれ』を完成させねば。あのお方の機嫌が、悪くなる前に」

そう言って踵を返すと、科学者は部屋を後にした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です