第二十話(5)

 

ルチアと僕の話し合いは佳境を迎えていた。

とは言っても、実際のところは非常に押されていた。『サリー先生に会って話がしたい』一心で話をしていた僕に対して、そんなことをしなくてもいいと押し切るルチア。その会話は一見平行線に終わってしまうようにも見えるが、案外そうでもない。

結論から言えば、ルチアの完勝と言っても過言ではない状況だった。

僕はサリー先生に会いたい。ルチアは別にサリー先生に会わせなくても僕の目的は達成できると考えている。それははっきり言って平行線になるのは当たり前だ。まあ、それを彼女がそう言ったのかと言われると微妙なところであって、実際は彼女の発言の所々から予想しただけに過ぎないけれど。

「……結論から言わせてもらうと、やっぱりあなたをサリーと話させるわけにはいかない。だって話す必要が無いもの。図書室もある。ほかの人たちもこの場所に居る。それでいいじゃない。別にサリーと話す必要性は考えられない。……これが私の結論よ。それとも、これ以上言い返すことが出来るかしら?」

「……、」

何も言い返せなかった。

悔しかった。何も言い返すことが出来ない、自分がただ悔しかった。どうすればこの口論で論破することが出来るのか。戦いは、少ない経験ではあるものの、何とか乗り越えることが出来るだろう。けれど、言葉での戦い――口論になれば話はまた別だ。頭が良くなければ言い返すことなんて出来ない。そして、今のルチアに言い返すほど、僕の頭は良くない。お世辞にも頭が良いとは言えない実力。それが、学校時代の僕の学力だったのだから。

「……少しは筋があると思ったけれど、予言の勇者もその程度なのね。だとすれば、仕方ない。さっさとここを出ていきなさい。そして、もしあなたがこの世界のことを知りたいのならば、図書室なり別の部屋を教えてあげる。そこに向かえば、きっとあなたの知りたい情報を得ることは出来るでしょう。だから、だからこそ、あなたはそこで知識を仕入れる必要があるのだから」

そう言って。

ルチアは完全勝利という気持ちを込めた嘲笑で僕を送り届ける。

その時だった。

ノックもせずに、誰かが入ってきた。

「……誰かしら?」

「ごめんね。話し合いをしている声が聞こえてしまって、盗み聞きするつもりは無かったのだけれど、それでも、話し合いに参加しなくてはならないだろうと、そう思ったのよ。だから、取り敢えず私も話に混ぜてもらえないかな?」

そう言ったのは、僕もよく知る人だった。

「サリー……。あなたどうしてここに居るの?」

「別に、私がここに居るのは勝手でしょう? いいや、別にここだけじゃない。私はこの組織のトップ。管轄している存在になる。だから、この組織の管轄にある、この建造物のどこに居ようと私の勝手。そうではないかしら?」

それを聞いたルチアは首を横に振り、大きく溜息を吐いた。

あきらめがついたかのように、ルチアはサリー先生を見つめる。

「サリー……。あなた、もしかして最初からこの展開を望んでいて、わざと私と予言の勇者の会話を見ていたわね?」

「いいえ。別にそのつもりは無かったわよ。ただ、目の前を通ったらあなたとヤタクミの口論が聞こえただけ。そんでもって声を聴いてみると……、私に対する内容だったから、ただ出るタイミングを窺っていた。ただ、それだけの話」

「……どこまでほんとうなのやら。それで? サリー、あなたはどこで予言の勇者との話をつけるつもり? ここを貸すつもりはないわよ」

「それでいいよ。別にここで話し合いを……正確に言えばヤタクミへの情報提供をするつもりはない。私は私の部屋を用意しているし、別に歩いている道中でも話すことは出来る。だからこそ……、今私はヤタクミに許可を求めに来た、というわけ」

そう言ってサリー先生は僕のほうを向いた。

立っているサリー先生は僕を見下ろす形になっている。それは、今の僕とサリー先生の関係を示しているようにも見えた。

上司と部下、ではない。きっとこの関係を一番近く表しているのは、こんな関係だろう。

所有者と所有物。

所有物は所有者に対して畏敬の念を持っていなければならない。対して、所有者は所有物をいかなる方法をもって使役しても構わない。なぜなら『物』として扱っているのだから。そこに人権など存在するわけがない。

サリー先生がそんなことをするとは到底考えていないけれど――、その冷たい眼差しはどこか物を見るような眼だった。僕を人間として見ていないようにも見えた。侮蔑も含めたような、そんな目つきだった。

そして、サリー先生はゆっくりと告げた。

「ヤタクミ。あなたは真実が知りたいですか。たとえ、この世界がどうなろうとも、いや、正確に言えば、この世界を本気で救おうと考えているというのならば……、私についてきなさい。真実を教えてあげましょう。そして、あなたがなすべき道を私が指し示してあげる。それは、きっと私があなたにしてあげなければいけない施しのような気がするから」

サリー先生は右手を僕に差し伸べた。

それは救いの手に見えた。それは地獄に伸びる一本のクモの糸にも見えた。

そして、それに縋らなければ、僕は二度とこの状況から脱出できない。正確に言えば、『何も知らない』状況というのは少なくとも脱却することが出来なくなる。

それが僕は怖かった。周りはすべて知っているのに自分は何も知らない。まるで操り人形か何かのような感じがして、とても怖かった。

だから、僕はその右手を――しっかりと握った。

その右手を握ることで、何か救われるような、そんな気がしたから。

 

◇◇◇

 

そして。

第三勢力たる存在は、水晶玉を通してすべての事象を見つめていた。

正確に言えば、見通していた、というほうが正しいかもしれない。いずれにせよ、彼女は世界をここまでにした張本人であり、それでいてそれを悪いと思っていない。むしろ正しいことと思っているのだから。

巫女装束のような恰好に身をまとった女性は呟く。

「……これでそれぞれの動きが、ある程度ひと段落しましたか」

隣に立っていた白いワンピースの少女は告げる。

「でも、これでいいのですか。リュージュ様。シリーズという存在に先手を取らせるなんて。あなたらしくない。予言の勇者を倒すためには、あなたとシリーズが組むことが良かったのでは?」

「それでは、ここまでうまく進めることは出来なかったでしょう。シリーズにはシリーズなりの矜持がある。そして、私にも私なりの矜持が……ね。それを考えると、きっとその矜持はぶつかり合うでしょう。それで支障が生まれるのは大変よろしくない。ただでさえ、今の世界は不安定だというのに」

溜息を吐いたのち、女性は水晶玉から目線を移す。

暗い部屋だった。壁も床もすべてが黒で塗り潰されている。それでいて、人物は黒に引き立てられているかのように、不自然に浮かび上がっていた。

水晶玉を持つ女性は笑みを浮かべたまま、顔を上げる。

「……世界は不安定。確かにその通りです。そして、不安定な状態であっても、予言の勇者は世界をかき回すと思いますよ。予言の勇者はまだ何かをしでかす可能性がある。いや、正確に言えばしでかされる、そう仕向けられるのでしょうから。まったく、運命という可能性は酷いものですね。時に人を滅ぼすのですから。そして、滅ぼすときの一番の言い訳にもなりますし」

「確かに、一理ある」

女性は笑みを浮かべると、立ち上がり、少女を避けて部屋の出口へと向かっていく。

「……リュージュ様、どちらへ?」

「未だ物語は序盤だ。始まることは、そう簡単にやってこないだろう。だから、私は少しの間眠らせてもらうよ。なに、もしロマも気になるようであれば水晶玉を置いておくが」

「いえ、結構です。それほど物語が進むことも無いでしょう。それは私も同意ですから。それより、リュージュ様はゆっくりお休みください。リュージュ様の計画は十年経過して、漸くここまで来たのですから。先ずはお休みしていただいて、しっかり力を蓄えてから行動に移しても問題は有りません。そうでしょう?」

「……そう言うならば、水晶玉は私が持ち帰ろう。では、私は少し眠る。たぶん勝手に起きてくると思うから、緊急時以外は起こさないこと。そして、私の部屋にも人を立ち入らせないこと」

「かしこまりました」

ロマと呼ばれた少女は頷いて、頭を下げる。

リュージュはそのまま彼女の礼を見て、奥にある扉を開けてその中――彼女の部屋へと入っていった。

一人残されたロマは考え事をしていた。

それは彼女の兄であるバルト・イルファについてだった。バルト・イルファは十年前、予言の勇者の脱出に加担したとしてリュージュから排除命令が下されていた。

排除命令。それは事実上の組織からの抹消処分だった。

それは彼女にとっても悲しい決断だった。彼女は兄、バルト・イルファのことが好きだった。それは、好意を持っているという意味だった。愛している、という意味だった。

バルト・イルファとは兄妹の関係にあるとはいえ、血は繋がっていない。

血は繋がっていないからこそ、ロマはバルト・イルファ――つまり兄のことも恋愛対象においても問題ないだろう、とずっと考えていた。

バルト・イルファのことを当然尊敬しているし、しかしながら、それと同時に恋愛感情もはぐくんでいた。もちろん一方的だった。バルト・イルファがそんなことを知っているはずも無かった。仮にそういう一端を垣間見るときがあったとしても、それは冗談だろうとしか受け取っていなかった。

だが、彼女にとってみればそれは冗談などで片づけられる問題では無かった。

「……お兄様、どうしてこうなってしまったの……」

妹は、兄に恋をしていた。

だが、兄は予言の勇者の脱出に加担して、そのまま姿を消してしまった。

ああ、妬ましい。

妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。妬ましい。

自分の愛する兄を、ここまで骨抜きにしてしまった予言の勇者が妬ましい。

だから、許せなかった。

ロマもロマで、予言の勇者に因縁があるということだ。

「お兄様を、ああ狂わせたのは、予言の勇者。あなたが悪いのですよ……!」

ロマは昂る感情を何とか押さえつけながら、ちょうど窓から出てきた月を睨みつけた。

月はそんなこともつゆ知らず、今日もふわりと空に浮かんでいるのだった。