第二十話(4)

 

一人残った部屋で、バルト・イルファは溜息を吐いた。

「いつまでも、思い通りにはいかないね。フル・ヤタクミ。君がどう動こうったって、世界の仕組みは変えられない。それとも君は望んで、自分の身体を滅ぼしに向かおうとしているのか。だとすれば、頭の悪い話だ。そんなこと、望んでする必要はないのに」

立ち上がり、伸びをする。そしてバルト・イルファは小さく舌打ちをしたのち、部屋を後にした。

「フル・ヤタクミ。君はどこまで愚かな存在なんだ?」

吐き捨てるように、その言葉を口にして。

 

◇◇◇

 

サリー先生に話を聞かなきゃ。

僕はそう思って、ずっと走っていた。

サリー先生に会うためには、ルチアにパスコードを聞く必要がある。バルト・イルファがそう教えてくれた。彼の情報を無駄にしてはならないだろうし、今の状況では最重要な情報だろう。バルト・イルファが何か言いたげな表情を浮かべていたが、今はそんなことどうだっていい。一先ず、もう一度サリー先生に会ってきちんと話をしないと何も始まらない。

ルチアの部屋は外壁に面した掘っ立て小屋だった。もっと立派な部屋を用意してもらうことも可能だと思うのだが、どうしてこのような場所に部屋を作っているのだろう。

そんなことを思いながら、扉の前に立ち、僕は扉をノックする。

反応はなかった。まあ、当然かもしれない。逆にあのルチアに人間然とした態度をされたらそれはそれで驚きだし。

と、本人を蔑むのはここまでにしておいて、僕はそれを了承と受け取って、部屋の中へ入った。

部屋は非常に質素な作りだった。ちゃぶ台のようなテーブルが一つ、クッションが二つ、それにシングルベッド。衣服は適当なところにかけられていてそのまま放置されている。どうやら生活能力はそこまで高いものではないようだった。それを見て少しだけ安心した自分がいるのは内緒だ。

そして、ルチアはシングルベッドに横たわっていた。どうやら眠っていたようで、白いワンピースを着ていた。パジャマか部屋着のいずれかだろうか、普段の印象とは大きく違うので少しドキリとしてしまうが、それはいま感じる問題じゃない。

さて、当の本人は僕の入室にも気にすることなく、目を開けてからこちらを一瞥して起き上がろうともしなかった。

「……用事があったからここに来たわけなのだけれど、起き上がろうとする気もないわけか?」

しびれを切らした僕は、そう口にする。

対してルチアは至極面倒そうな表情を浮かべながら、ゆっくりと起き上がる。

よく見れば髪はぼさぼさになっている。さっき話をしてそんな時間も経っていないことから、あのあとすぐに眠ったということなのだろうか。だとすればあまりにも不定期な生活リズムに見えるが。

「何よ。別に私が起き上がろうとは思わないのだから、いいじゃない。……ところで、何の用かしら?」

「サリー先生に話をしたい。パスコードを教えてくれないか?」

「また単刀直入に……。どうせ、バルト・イルファが悪知恵を仕込んだのよね。まったく、あのキメラは、何を言い出すか解ったものじゃない。サリーもどうしてそんなことをしたのか、まったくもって理解できないけれど、まあ、それはいま考えるべき話では無いわね」

ふわあ、と欠伸を一つして立ち上がるルチア。彼女はそのままゆっくりとクッションの上に座る。

それを僕は、ずっと立ったまま見つめていたわけだけれど、

「何をしているのかしら。とにかく、座りなさいな。話をしているのに、立ち話というのも難儀なことではなくて」

そう言われてしまっては、受け入れるしかない。そう思って僕はルチアの向かいに置かれているクッションの上に安座で座った。

ルチアはベッドの脇に置かれていた白い箱の扉を開けた。中から茶色の液体が並々に満たされたデキャンダとコップを二つ取り出してそれをテーブルの上に置く。持っていた部分が濡れていなかった――裏を返せばそれ以外の部分が濡れていたところを見ると、どうやらあの箱は冷蔵庫の類のようだった。

デキャンダを持ち、コップに液体を注いでいく。それを八分目くらいまで注いだ段階で終えると、それを僕のほうに差し出した。

最初はそれが何の液体なのかさっぱり理解できず、口をつけずにいたのだが、

「……それはお茶だよ。別に毒なんぞ入っちゃいない。まあ、苦みがあるからそこは人を選ぶポイントになるかもしれないが」

溜息を吐いたのち、そう言って彼女の前に置かれていたコップにも同じようにお茶を注いでいった。

お茶か。それなら問題ないだろうか。そう思って僕はコップを手に持つと、それを口に流し込んだ。

味は想像よりもすっきりしていて、とても美味しかった。苦みがあるとは言っていたが、それもアクセントの一つと考えれば申し分ない。偉そうに聞こえる話かもしれないが、それは紛れもない事実だった。

それをルチアも見ていたようで、

「……へえ、それを初見で苦いと思わなかったのは珍しい。別にあんた以外にも色んな人がいたけれど、それでも全員が全員これを美味しいとは思っていなかった。ま、私はこれが好きだからこのお茶を飲んでいるのだけれど」

そう言ってルチアはお茶を飲みほした。

「これは、何のお茶なんだ?」

「エノシアスタ第一ビル……と言っても解らないか。ここから連絡通路を通して行けることのできる唯一の場所だよ。そこに人工農園がある。そこで育てている野菜の一つに、煮出しすることで味が出てくるものが判明してね。それを使っている。名前は忘れてしまったが、健康効果も期待できるとのもっぱらの噂だ」

「噂、ね……」

女性は噂を気にする、と聞いたことがある。やっぱりこの世界でも女性の感性は変わらないんだな、って思った。はっきり言って、今の状態ではまったく関係のないことなのだけれど。

僕が目を細めて――疑っていると思われたのか――頷いたのか、ルチアは首を傾げて、

「おい、お前。まさか信じていないのか。というか、何をしにここにやってきた。まさか、このお茶を飲みに来たのではあるまいな。私と談笑に来たわけでもなさそうだが……」

その通りだ。

ルチアとは話をしないといけないことがいっぱいある。

「……実は、パスコードを教えてほしい。サリー先生の居る部屋へと向かうための」

「それを聞いて、あっさり私が教えるとでも思っているのか?」

それは当然だ。

それにそう簡単にパスコードが手に入るとは思っていない。

だからパスコードを手に入れるまでは、僕の実力だ。交渉して、手に入れないといけない。

「……パスコードが手に入らないから、もう何もできないという感じかしら。確かに、パスコードを手に入れることで何が変わるか解らないけれど、いずれにせよ、何もしないというのであれば帰るがいい。そしてそのまま受け入れることね、あなたの運命に」

そうして、デキャンタからお茶を注ぐルチア。

ルチアにただ言われただけで、このまま出ていくわけにもいかない。

やはりここは、ルチアを言い負かせてパスコードを手に入れないといけないだろう。

「……ルチア。僕はどうしてもさりー先生と話をしなければならない。理由は解るだろう? この世界のことについてだ。そして、僕が眠っていた十年もの間、何が起きていたのか僕が理解する必要があるからだ。そのためにも、僕は話をしなければならない。サリー先生から、すべてを聞かないといけない」

「すべてを聞く、ですか。それはサリーではないといけないのですか。バルト・イルファに、私もいます。書物で情報を仕入れたいなら図書室の場所をお教えしましょう。なぜわざわざサリーに会いに行く必要があるのですか」

「それは……」

はっきりと言えなかった。

ちゃんとした理由が無かったから、ではない。理由は確かにあった。サリー先生ならば信頼することができるから、サリー先生の話を聞けば落ち着くことが出来るから。

少なくともバルト・イルファとルチアはかつて敵だった。だから、彼ら彼女たちから話を聞いても信用する証拠としては乏しい。

書物を見たとしても、この有様では十年間の歴史を記した本があるかどうか怪しい。それに、書物は殆ど主観で描かれている。それを考えると、客観的な見方をした本を読んでおきたかった。しかし、それは無いと考えたほうがいい。そもそも、図書室があることも知らなかったし、ルチアが連れていく場所もほんとうに信頼足りえるものかどうかも解ったものではない。

それを総合的に評価した結果、サリー先生と話をしたほうが僕の中で事実を噛み砕くことが出来る、或いは話を一番理解する上での近道という判断に至った。

しかし、それがルチアと話し合ううえで彼女を論破するに値する発言であるかといわれると微妙なところだった。もしかしたら、だから、それがどうかしたか、と追及されてしまう可能性がある。そうなってしまったらそこまでだ。僕はサリー先生に会う手段を失うに等しい。

ならば、どうすればいいか。

その代案を考えていたのだが――それがなかなか浮かんでこなかった。

そして僕はそのまま、ルチアとの話し合いへと突入していくのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

メアリーたちが乗る船には書庫がある。そこにはこの世界の歴史や文化を保存するために、できる限り残しておきたいとメアリーが考えたためのものだった。もちろんすべてが保存されているわけではなく、一部取りこぼしがある。それは別の安全圏に置かれているから問題ない、とされているのがメアリーの見解だ。

そしてこの書庫は立ち入り禁止にはなっていないが、誰もやってくることはない。

こんな時代で、進んで本を読もうという人間なんてあまり居ないのだった。

しかし、今のルーシーにはそれが好都合だった。自分の部屋ならば直ぐに誰かが入ってくる可能性もあり得る。だからここならば滅多に人が入ってこない。シリーズとの会話も出来るだろう。そう考えたのだった。

書庫の奥底にある椅子に腰かけ、漸くルーシーは溜息を吐いた。

『……漸く話すことの出来そうなポイントにやって来られたな?』

シリーズの問いにゆっくりと頷くルーシー。

そしてルーシーはゆっくりと話を始めた。

「先ずは、何から話せばいい? シリーズ」

『とにかく、先ずは呼び名から行こうか、ルーシー。シリーズという呼び名は言いにくいだろう? シリーズは色々と居るからね、私以外にも役回りが違う存在が何種類も。彼らと出会うことになるかどうかは定かではないけれど。彼らも忙しいからね。……さて、ルーシー、改めて私の名前を教えてあげよう。さっき私はシリーズといったけれど、それは私を含めた種族全般の呼称にすぎない。正確には、私は「ハンター」と呼ばれる。覚えておくがいい。そして、今後はそう呼ぶといいよ』

「……偉く高圧的な態度だな。僕と君にどのようなメリットがあるのか未だに理解できないが」

『言ったじゃないか。お前は惚れた女を自分のものにすることが出来る。私は……そうだね。面白いことが好きなんだよ。ただ、それだけだ。私にとって面白い事が起きればそれで構わない。何せ、この世界をずっと見ていくのは非常につまらない話だからね。面白い事といえばつい十年前に起きたあれか。人間たちには申し訳ないけれど、あの大スペクタクルはとてもじゃないけれど、またみられるものではないね』

ハンターのメリット。それはルーシーが聞いてみればよく理解し難いものであったが、そうであったとしても、やはり簡単に信じるものではない。

そう思っていたからこそ、ハンターはさらにルーシーに話を続ける。

『あなたが何を考えているのかさっぱり解らない。というのは嘘になる。さっきも言った通り、私はあなたの考えていることが手を取るように解っている、ということ。だとすれば、あなたが何を言ったところであなたの本心が解る、ということよ』

「……長々と語っているが、要は、隠し事は不要というスタンスだろう?」

溜息を吐いたのち、ルーシーはハンターに目線を向ける。

ハンターに対する不信感は未だに募っていた。だからこそいろいろと話さないでおこう。自分の手の内は隠しておこうというスタンスで何とかハンターとの会話を終えていこうと考えていた。

しかしながら、ハンターはそれに先手を打つ形で『何でも解る』と言った。

「とにかく、話を続けよう。君は楽しいことを知りたい。僕は……彼女の向ける目線が欲しい。そういうことでよかったか?」

『お前が何を望んでいるか、私から言及するつもりはないがね。まあ、それであっているというのならあっているのではないかな』

遊んでいるように、楽しんでいるかのように、弄んでいるかのように。

「……いずれにせよ、話をしていく必要はあるだろう。メリットと、デメリットの話し合いをする必要があるだろうよ」

ルーシーはまだその意味に気付いていなかった。

目の前に居るハンターとやらの実力は未知数だ。対してルーシーは十年間組織の参謀として頭脳担当の立ち回りをしてきた。メアリーはリーダーであるとするならば、ルーシーは影のリーダーという認識で間違いではないだろう。それに影のリーダーであるという認識はほかのメンバーもそう認識していた。

メアリーは表向きにはリーダーとなっているが、実際指示を送るのはメアリーではなくルーシーだ。正確に言えばメアリーとルーシーが話し合って決めた内容をメアリーが代読する形となる。結果として、メアリーが指示をしていると表向きには見えているが、実際にはメアリーはルーシーの操り人形と化している、という認識が多い。

そしてルーシーもそれを自負していた。メアリーは知識については豊富に持っているが、リーダーになる器は無かった。そして、メアリーもそれを理解していた。理解していたからこそ、もっとも信頼できるルーシーにその地位を委譲していた。

ならばメアリーではなくルーシーをリーダーに置くという考えもあるが、それはメアリーの血統が問題となっている。メアリーは祈祷師を母親に持つ、『神の一族』と呼ばれる存在だ。神の一族は例外なく王家、祈祷師、それ以外であっても貴族や豪族など、ある程度この世界のパワーバランスに影響をもたらしている。それを考えると、メアリーがリーダーになるのは至極もっともなことだった。

しかしながら戦術を考えるのはメアリーであったとしても、求心力を掴むため、正確に言えば人を上手く使うのはルーシーのほうが得意だった。

だからこそ、ルーシーの努力はもう少し認められてもいいはずなのだが……。

『しかしながら、あなたの努力は認められることは無かった。理由は単純明快、メアリーの統率能力が秀でているとこの組織の人たちは思っているから。……そうよね?』

それにこたえることはできなかった。

或いは、それをルーシーは自覚していたからかもしれない。自覚していたからこそ、いざそれを言われると痛いところを突かれた気分になる。だから、何も言えない。

それを知っていたからこそ、さらにハンターは話を続けていく。ルーシーへの言葉の猛攻を続けていく。

『……結論を先延ばしにする必要は、私の中でも無いわけだよ。それくらい理解しているだろう? 結論を先延ばしにしたところでメリットは何もない。今は、スピードが重視される時代だよ。そうは思わないか?』

「つまり、結論を急げ、ということか」

その通り、と言わんばかりにウインクを一つするハンター。

『結論を急ぎ過ぎるのも悪い。だからといって慎重に行き過ぎるのも駄目だ。ちょうどいい感じで行こうじゃないか。別に私はせかしているつもりはない。けれど、このままでいいのかなー? このまま進んでいけば、確実にあなたの思い人はそいつと接触するぞ。そして、あなたは蚊帳の外。どうする? しいて言えばこれが最後のチャンスだ。しかも、何も出来ないあんたに対して力まで与えてやろうというんだ。これ以上の好機があると思っているのか?』

ルーシーは考えた。自分はどう行動するべきかを。しかし、このままでは紛れもなくメアリーはフルを追い求めることだろう。十年間、彼女がフルのことを考えなかった時はやってこなかった。それは即ち、いまさら彼が何か言ったところで彼女の心は変わらないことを意味していた。

それなら、どうすればいい? メアリーに見てもらうには? メアリーに、自分の気持ちを本気で見てもらうには、どうすればいいのか。

目の前に居るハンターはにたりと笑みを浮かべていた。

そして、ルーシーは一つの決断を下し――大きく頷いた。

『決めたようだな。どうするのか。自分がどういう道を歩むのが正解か、を』

それを聞いたルーシーは、再び頷いたのち、

「ああ。よろしく頼むよ、ハンター」

そしてハンターが差し伸べた手を、強く握った。