文学少女02

「諸君はこの綱城(つなき)工業高等専門学校に入学したことは誇りに思っても構わない。君たちは数多の中学生から選ばれた人材であるとも言えるだろう。この学校で素晴らしい技術を学び、そして未来の日本を担っていくエンジニアとして飛び立っていってほしい。そして、この学校の名前を背負っていくことを、誇りに思って欲しい」

その言葉が未だに脳内にフラッシュバックする。入学式から明けて次の日、俺、木島虎太朗(きじまこたろう)は校内をふらついていた。別に授業が暇だから外に出たというわけでもない。現に今はもう夕方だ。

綱城工業高等専門学校は一言で言えば理系の学校だ。コンピュータの内部、ソフトウェアに関することや、その外部であるハードウェアの勉強、さらには化学まで用意されている。機械・電気電子システム・制御・情報・物質……まあ、一言で言うならばこんな場所だ。

しかしながら、部活動は普通の高等学校よりも多い。特に文化系が多い。先程見たが、文化系にはそれぞれ部室が用意されており、また『同好会』というシステムもあるらしい。

「コーセンッ、ファイトー!」

「オーッ!」

道中、走りゆくジャージ姿の人間数名とすれ違う。恐らく陸上部だろうか。

食堂のある建物を横目に、俺は漸く目的地――『文化部部室』へとたどり着いた。

同好会の部室がある場所だ。

同好会と部活動、その違いがあまり解らなく友人に話を聞いたが、どうやら同好会は部活動の前段階のことをいい、部活動に比べるとお金が入りにくい。要するにお金が入るか入らないかの問題なのだという。まあ、人伝えに聞いたからほんとうかどうかは解らないが。

文化部部室の建物は白い建物だった。平屋だった。それでいて清潔だった。完成したばかりなのかもしれない。

ドアをノックし、中に入る。

中は思ったより狭い。人ひとりが漸く入ることの出来る、というのは言いすぎか。ともかく、すれ違って歩くとなると少々難しい、そんな廊下が見えた。

廊下は一番外側に設置されており、部室への扉は廊下に面している。当然だ。

俺は廊下を歩きながら、文化部のラインナップを見ていくことにした。漫画同好会、軽音楽同好会、ラジオ部、自動車部……。

そして、俺の目的である『文芸同好会』は一番奥にあった。

ドアはスライド式だった。だから、俺はそれをスライドさせる。

中は思ったより広かった。というより、中学校の教室みたいな感じだった。フローリングの床、格子状のロッカー、掃除用具入れ、おまけに黒板まで用意されている。

「すごいな、まるで」

「教室めいているだろう?」

声が聞こえた。

そしてその声の主を探すために俺は部室を見回す。

「別に見回す必要もない。目の前にいる」

それを聞いて俺は目を丸くした。

確かにそこには一人の学生と思われる女性が、教室に良くある躯体が鉄製の椅子。足は錆びているのに背もたれや天板は綺麗なところを見ると、板は張り替えたばかりだろうか。

ピンクのプリーツスカートを履き白のブラウスに黒のコートを着た女性は、俺を食い入るように見つめていた。まるで俺を審査(チェック)するかのように。

審査が終わったのはそれから数分後。俺はその間ずっと立つことを強いられていた。何というか、最初から大変だ。

「あなた、もしかしてコタローくん?」

ええ、まあ。

曖昧な受け答えをすると、女性は立ち上がった。そういえば女性は赤い髪をしている。

「私。たぶん弟からメールか手紙かで連絡が言っていると思うけれど、大庭朱音っていうの。朱音さんでいいわよ。あ、もしくは会長でも構わないし」

そう言って会長は鼻歌を歌いながら、ロッカーの上に置かれている電気ポットを取り出して、掃除用具入れの隣にある手洗い場へと向かう。背中で隠れてしまったが、水音から察するに電気ポットへ水を入れているのだろう。カルキ抜きの意味も込めて、煮沸消毒ということだ。

「煮沸消毒はほんとうに便利だよねえ」

そう言って蛇口を締め、電気ポットをセットする。ああ、二分とか三分とかそれくらいで沸いてしまう瞬間湯沸かし器だ。とても有名だしまあまあ値段もするはずだが、自費なのだろうか。

「あ、コタローくんもどこか座っていいよ。椅子は幾らでもあるからね。好きな椅子を使っても問題ないよ」

お言葉に甘えることにした。

椅子に腰掛けると、どっと疲れが出た。どうしてだろう。ただ話をしただけだというのに。

気がつけばもう電気ポットの中のお湯は沸騰していた。カチッと音がして、会長はそれを取りに行く。何か、先輩にこういうのをしてもらうのは少しだけ罪悪感がある。ほんの少しだけど。

「はい、コタローくんの分。飲むでしょう?」

「あ……ありがとうございます」

俺はそれを受け取った。マグカップだ。クマの絵が描かれている。もちろんデフォルメされたものだ。確かコンビニで交換できる限定商品だったように思える。母親が必死になってこれを交換するためにシールを集めていたのを、ふと思い出したからだ。

「コタローくん、どうした? そんなにぼうっとして。疲れたかな? だったら、帰っても構わないよ?」

「いや、別にそういうつもりは……」

嘘をついた。息を吐くように嘘をついた。

悪いとは思っていたが、謝る気にもなれなかった。

「まあ、仕方ないさ。一年はいつもそう。高専に入ると、その独特な雰囲気に慣れなくなってしまう。慣れればそれで構わないけれど、それを理解できずに埋もれてしまう。私はそういう人間を何人も見てきたよ。まあ、悲しいことではあるね。仕方ないことではあるけれど」

「そうですか」

無機質な答えだった。

「高専って『就職が簡単に出来る』とか『大学へ編入出来る』とか、そういうことを言っているだろう? 別に間違いではないけれど、時折それを履き違えてしまう人間もいるんだよねえ。毎回のように現れるよ。高専を理解できずに消えていってしまう人間を。私はそれをずっと何人も見てきた。思えば私もそういう文句に誘(いざな)われてやってきたひとり。もうこの呪縛から逃れることは出来ないのかもしれないね」

「会長は、何年生なのですか」

「朱音さんと呼んだら教えてあげる」

「朱音さん、あなたは」

「四年生だよ」

即答だった。まだ俺の言葉が言い終わっていないのに。

「四年生、ですか」

反芻する俺。

「そうだよ、四年生。一年生から三年生までは凡ての単位が必修だけれど、四年生からはそんな柵(しがらみ)は殆ど無くなってしまう。実験とかは必修の部類になるけれどね。まあ、それでも三年生までと比べれば楽な身分であることには変わりないよ」

「ところで、弟……優希くんのメールにこう書いてあったんですが」

そう前置きして、俺はメールの内容を会長に伝える。

会長は俺の話を聞き終わると、何度も頷く。

「そう。その通りだよ、コタローくん。実はこの文芸同好会、廃部の危機に瀕していてね。理由はあまりにも単純、それでいて滑稽なものなのだが、人数不足だ。部活動及び同好会には最低でも三人の部員及び会員を必要としている。会長、副会長、それに会計だ。その三人さえ居れば最低でも部活動ないし同好会は運営していくことが可能となる」

「その人数が、居ないと」

「そういうわけだ」

そういうわけだ、ではない。

つまり俺は廃部になりそうな部活、いや同好会の人数合わせに呼ばれたということなのか?

「人数合わせとは失敬な。きちんと君の力を見出す。そういうつもりだ」

「どういうつもりですか」

だって俺は学力も平凡。どうして高専に入れたのか解らないくらいに。

「高専に入ったその時点で、君は『異端(イレギュラー)』だよ。そう言ってもいい。考えてみろ、たくさん高等学校や、工業高校があった中でどうして高専を選んだ?」

「それは、その……。先生に勧められたから」

忘れもしない。中学校の担任、江島。俺は中学二年の秋にこの県にある少し都会めいた市にある中学校に転校した。そこでは至って平々凡々の成績を取っており、とても頭がいいとは言えなかった。

そしてあまりこの土地を知らないまま進路の話になり、曖昧なところになっていたとき。

「そういえば木島。お前、進路はどうするつもりだ? 何が好きだ、とかそういうのはないのか」

「はあ。パソコンが好きです」

「パソコンが好き。ならば、ここはどうだ」

そう言って江島はパンフレットの中に書かれているある一校の名前を指差す。

それがこの学校だった。偏差値は高かった。俺の平々凡々の成績で受かるかどうか解らなかった。ただ、パソコンがたくさん使える。それを聞いて、俺は一生懸命頑張った。寝る間も惜しんで勉強した。

とはいえ、そこは中学生。やはり遊びには目がない。気がつけば携帯型ゲーム機に手を出していた。しかもその年といえば俺が大好きなゲームの新作が発売されたというのもあって、狂ったように遊んだ。それこそ、寝る間も惜しんで。

ゲームのプレイ時間が百時間を越えたあたりで俺は漸く受験勉強を再開させた。それでも、もう不可能だと思っていた。こんなこと出来るわけがないと思っていた。

だからいざ試験を受けたときは終わったと思った。

「でも君は今ここにいる。だから、受かったということだ。無事入試をパスして、この高専の門を潜り、学生として認められているということだ。そうだろう?」

会長はずっと俺の身の上話を聞いてくれた。でも、それが何の意味になるのか、俺には理解できなかった。俺の身の上話を聞いて楽しいのだろうか。

「それで、俺は入試が受かっていることが判明して、今に至る。だから、色々とあったんですよ。普通に入試を抜けた連中とは違う。俺は『偶然』で」

「偶然も実力のうちだと思うが、違うかな」

「…………」

論破された。

何も返すことが出来ないのは何も考えていないからではなく何も考えることが出来ない程の言葉を返されてしまったからだ。

「取り敢えず、あなたはこの文芸同好会に入るべき。いや、入りなさい」

「人数不足だからか」

「というのもあるけれど、調べたいものがあるから」

「調べたいもの、って何だよ」

「聞きたいかしら」

そこまで言っておいて言わないのはひどすぎる。

俺は頷く。

「なら、一緒に手伝ってくれると誓う?」

「話を聞いてからだ。先ずはそれから」

「解ったわ」

溜息を吐いて、白湯を啜る。

「この学校には大金が眠っている。そう言われているわ」

「大金、ですか」

「あら、オトコノコってこういうのが好きなものだと思っていたけれど」

誰でも冒険が好きなわけじゃない。

「まあ、いいわ。取り敢えず話を続けましょう。そしてその大金がどうしてあるのが解ったのかというと、昔の文芸同好会の会誌にこんな小説が載っていてね」

そう言って会長は机の上に置かれていた緑色の表紙の本を広げる。

そしてとあるページに書かれたタイトルを指差した。

「『高専にCノートを眠らせた』と書いてあるでしょう?」

「いやいや……Cノートって、何だか解らないしそもそもこれは小説の中の話でしょう? だったら、そういうのなんて非現実の可能性も」

「夢がないわねえ。あ、Cノートというのはアメリカのスラングで紙幣のことを意味しているのよ。百セント紙幣の意味だったかしら。多分それから転じて大金が入っているに違いないわ」

「そうですかね」

どうも胡散臭くなってきた。焦臭(きなくさ)い、と言ってもいい。

「信じてないわね。だったら、掘りに行きましょう」

「え。今からですか」

「そうよ。思い立ったが吉日って言うでしょ」

確かにそうだが。

しかし時刻はもう午後六時を回っている。俺も腹を空かしてしまったし出来ることならさっさと帰りたかった。

そうは言ったが、話を聞いちゃくれなかった。

ああ、もう仕方がない。

どうせ大金など見つからないのだ。さっさと掘り当てて帰ってしまおう。

そうだ。そうしよう。

 

「小説によればこの辺のはずなのよね。ほら、そこにあるのが寮生専用の食堂よ」

シャベルを抱えて俺と会長は外に出ていた。文化部部室の前にある電信柱に備え付けられたライトが俺たちを照らしてくれる。四月はもうこの時間になれば、とても暗いのだ。

「あの、会長」

「朱音さんと」

「朱音さん。俺、六時四十分までにはここを出たいんですけど」

俺が言うと会長が振り返った。

「どうして?」

「いや、家が遠いので」

「何処?」

「県西の方で。どちらかというと、隣に面した県の県庁所在地行ったほうが近いくらいには県境に面しています」

「あらー、遠いわねえ。噂には聞いていたけれど」

その噂、絶対優希が流したのだろう。

会長は腕時計を見て、言う。

「まあ、六時半までには終わるでしょう。それほど深いところに入れていないとも言うし」

そう言って会長はシャベルを土に突き刺した。

ざく、ざく、ざく。土を刺す音が響く。警備員が見回りに来ないのが、おかしいくらいに。

そしてものの数分もしないうちに、シャベルが何か固いものに当たった。

「おっ、来たかしら」

そう言って会長はさらにその周りを掘っていく。

そしてそれが姿を現した。

そこにあったのは、小さな箱だった。いろんなものが染みているのを見ると、随分と昔のもののように思える。

「やった、あったわ!」

会長はそれを両手で抱えると部室へと走っていってしまった。シャベルはどうするのか。と言っても、この場には俺しか居ないんだよなあということを再確認して、俺はそのまま放置されたシャベルを持ってその後を追った。

 

部室棟内部、文芸同好会を除く凡ての部室はもう閉まっていた。俺たちが話をしているあいだに活動時間を終了していたようだ。

「さて、開けましょうか」

会長は律儀にも俺が来るのを待っていた。何とも嬉しいことであるが、しかしそれが大金である確証もない以上、微妙な感じではあった。

恐る恐る蓋に手をかけて、そしてそれを開けた。

「…………」

開けた途端、会長は絶句してしまった。そういう反応をされると、いったい中に何が入っているのか気になってしまう。だから、俺もそれを覗き込んだ。

そこに入っていたのは、臙脂色の表紙で飾られている本だった。

しかも、もっと言うならばそれはキャンパスノートだった。上に濃い臙脂色の帯、それにロゴが入っている初代のデザインだ。ということはそれが入れられたのは一九七五年より後ということになるのだろうか。

表紙には何か書かれていた。掠れているようだが、何とかそれを読み解く。

「ええと、『C言語勉強ノート』。これっていったい」

「コタローくん、もういいわ」

「はい?」

「今日は疲れたでしょう。また明日いらっしゃい。ここは毎日やっているから」

そう言ってポケットから鍵を取り出し、ロッカーに仕舞ってあったカバンを持っていく。そう言われてしまっては仕方ないので、俺もリュックを背負ってそのノートを手提げかばんに仕舞った。

こうして、初めての邂逅は何というか中途半端な形で終わったのだった。

 

 

あれから。

電車に乗って、一時間半。

家に着くのが九時すぎ。親に少しだけ小言を言われたが、そんなことは頭に入らず、温めてくれた料理を食べて俺は二階にある部屋へと駆け上がっていった。

リュックからノートを取り出す。

そして中身を見る。中にはたくさんのアルファベットと記号の組み合わせが書かれていた。そして解説なのか、日本語が付せられている。

調べたことがある。C言語を使用するユーザーが増加したのは一九八〇年代、プログラミング言語を機械語に翻訳するコンパイラが安価になったからだと言われている。しかしながら、このノートに書かれている日付は一九七六年となっている。C言語が誕生したのは一九七三年だから、僅か三年後のことだ。なのに、もう殆どが調べ尽くされている。

いったい誰が書いたのだろうか、と思い表紙を見るとイニシャルしか書かれていなかった。

O・S。

いったいどんな人間だったのだろうか。そう思うと、気になって仕方なかった。

これを書いた時が一年の頃であると書いてあるから、今は五十代くらいになる。同い年でここまで調べられるかと言われると、絶対に無理だ。不可能と言ってもいい。

「また、明日行ってみよう」

不思議と俺はそう思うのだった。

それはきっと、何か未だこの学校に眠るものがあるだとか、そういうことを予見したのかもしれない。あの会長についていけば何かいいものに出会えるかもしれないと思ったのかもしれない。

だが、今はそんなことよりももう眠い。

そういうことを考えるのは、明日でも遅くないだろう。そう思うと俺はベッドに横になって、そのまま微睡みの中へと落ちていった。